観タマ記 令和5年10月22日

令和5年10月22日(日)1412(1330)~1625 バッティングパレス相石平塚スタジアム
首都大学野球リーグ 東海大学対城西大学
東海 120 000 010   4
城西 000 000 000   0

主審 串田  一塁 滝沢  二塁 深澤  三塁 三谷

この球場へ行ける今年最後のチャンスかな、と思って、高い電車賃払って行ってきました(大阪よりは安いが)。今季は東海大4位、城西大5位とどちらも振るわず、優勝は日体大(筑波と桜美林が2・3位)で、明治学院が入れ替え戦に回ります。入れ替え戦の相手は帝京。帝京が二部落ちしてたんですね。
東海・米田が5安打完封。城西の二回からリリーフして交代了の竹丸もすばらしい投球でしたが、エラーや守備妨害が多いのと、どちらにもフェンス越えて来る打者がいないので、ほんとに「まったり」と見られました。

この球場は、首都圏で、どこのフランチャイズとか華美なへそ出し踊りがあるかなど抜きにして、観客として来るなら一番いいところでは、と思っています。海と山の距離や、スタンドの高さ・銀傘の大きさなどがマッチして、風が気持ちいいんです。そば屋さんが出てると美味いんですが、今日はさすがに出てませんでした。

大山阿夫利が見えます。日程が合えば高い電車賃出してついつい来てしまうのもムベなるかな。

電車賃分の節約のため、シウマイは弁当でなくポケットにして、炭水化物弁当だ。今日は0,8合にしたのにやはり腹膨満する。なお、弁当に入っている宇宙人の足みたいなキモチ悪いモノは、イカ焼きに鰹節を振りかけたものです。もっと醤油かければ美味かったかも。

途中で日陰になってくると少し肌寒いので、三塁側に移動。五回のグランド整備中は日向に横になって気持ちよく寝てしまい、六回二死になるまで気づかなかった。

試合終了です。四年生は今日が最後でしょう。日曜日も終わる・・・。

試合終了が予想より遅くなったので(試合開始予定が1330だったからですが)、17時閉館の市立美術館や博物館には間に合いそうにないので、市内調査の方に向かいます。これまでの累次の調査により、北方の真土地域(明治初年の一揆事件で有名)や南方の平塚宿や大磯方面の古墳は調査されておるので、スタジアムから北西方向に向かってみた。

中原上宿遺跡、の跡地です。道路拡張の際に弥生時代の住居や井戸跡などが出てきた。歩道に住居や井戸跡のイメージラインが描かれています。

城見塚といわれる比高地です。左手から大山道と中原街道の交差点に当たる交通の要地であったそうだ。

東京から続く中原街道の終点・中原御殿跡。徳川家康の鷹狩地で、宿泊用の御殿がありました。17世紀半ばには廃止されたそうですが、かつての掘割に沿って道がめぐり、御殿跡地と思われる場所は小学校になっています。

明日はまた会社か。夢見が悪かったので何か起こるかも・・・。いいことだといいですね。

次の試合へ
観タマ記目録へ
調査報告目録へ

WordPress.com Blog.