得無飢否(飢うること無きを得るや否や)(「玉堂叢語」)
毎日腹減ってメシを食うのに、食い終わると苦しくなって居眠り、の繰り返しだ。あと何回こんなことを繰り返すのだろうか。もっと大きな人物になれるつもりだったのになあ。

昼飯サバ食って美味かった。
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明の文貞公・徐階は嘉靖年間の終わりに厳嵩を弾劾、隆慶初年の清政をもたらした名臣であるが、若いころ江西に試験の監督に出かけた。
途上、尚書に戻る大先輩の毛伯温と出会い、その舟を訪問したところ、毛曰く―――
君得無飢否。
君、飢うる無きを得るや否や。
「おまえさん、腹は減ってないか」
返事もしないうちに毛のその発言を聞いて、
侍者捧大盤四。
侍者、大盤四を捧ぐ。
下僕が、巨大なおさらを四つ捧げ持ってきた。
其二装炙鵞、鵞皆大臠。其二装大饅頭、大如盌者、各五十許。
その二は炙れる鵞を装し、鵞はみな大臠なり。その二は大饅頭を装し、大いさは盌の如きなるもの、おのおの五十ばかりなり。
そのうち二皿には炙ったガチョウが載せられていた。どれもこれも大きな切り身である。あと二皿には大きなまんじゅうが乗っていたが、どんぶりほどもある大きいのが、それぞれの皿に五十個ぐらい乗っているのだ。
一人一皿づつある、ということである。想像しただけでなんかシアワセになってきますね。
(むむむ)
不置筯、以手掇之。
筯を置かず、手を以てこれを掇す。
どの皿にもお箸はついていない。手づかみで取るのである。
(やるな)
それから、
銀盌二、使注酒。長醊大爵、傍若無人。
銀盌二、酒を注がしむ。大爵を長醊して傍若無人なり。
銀のどんぶりを二つ持って来させて、それに酒を注がせた。あとは、巨大な杯から途切れなく酒を啜り続けて、まわりに誰もいないかのような振る舞いであった。
時徐階年少、勇於酒、互挙無算、歓然而別。
時に徐階年少なれども、酒に勇み、互いに挙げて算無く、歓然として別る。
そのころ、徐階は若かったが、酒はどれだけでも行ける口だったから、互いに乾杯しあって数えることもできないぐらいで、おお喜びのまま別れた。
「なかなかやりおるわい」
それから、毛は出会う人ごとに、
公大器也。
公、大器なり。
「あいつはでかいオトコになるぞ」
と言いふらしたそうである。
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明・焦竑「玉堂叢語」巻七より。元気があってよろしい! のでは?
昔から「わしは肉食でも草食でもない・・・カスミを食って生きているのだ!」というのを決めゼリフにしてきたのですが、ほんとは肉食でも草食でもなく穀物を食って生きています。しかし年老い、かつインフレが食べ物から進行しはじめているみたいなので、これからは少食にならざるを得ないであろう。あるいは昆虫食か。特に若いひとは、巨大などんぶり一杯昆虫食をむしゃむしゃ食って、「なかなかやりおるわい」と言われるようならないといけませんかも。