2月14日 元気があってよろしいカモ

得無飢否(飢うること無きを得るや否や)(「玉堂叢語」)

毎日腹減ってメシを食うのに、食い終わると苦しくなって居眠り、の繰り返しだ。あと何回こんなことを繰り返すのだろうか。もっと大きな人物になれるつもりだったのになあ。

昼飯サバ食って美味かった。

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明の文貞公・徐階は嘉靖年間の終わりに厳嵩を弾劾、隆慶初年の清政をもたらした名臣であるが、若いころ江西に試験の監督に出かけた。

途上、尚書に戻る大先輩の毛伯温と出会い、その舟を訪問したところ、毛曰く―――

君得無飢否。

君、飢うる無きを得るや否や。

「おまえさん、腹は減ってないか」

返事もしないうちに毛のその発言を聞いて、

侍者捧大盤四。

侍者、大盤四を捧ぐ。

下僕が、巨大なおさらを四つ捧げ持ってきた。

其二装炙鵞、鵞皆大臠。其二装大饅頭、大如盌者、各五十許。

その二は炙れる鵞を装し、鵞はみな大臠なり。その二は大饅頭を装し、大いさは盌の如きなるもの、おのおの五十ばかりなり。

そのうち二皿には炙ったガチョウが載せられていた。どれもこれも大きな切り身である。あと二皿には大きなまんじゅうが乗っていたが、どんぶりほどもある大きいのが、それぞれの皿に五十個ぐらい乗っているのだ。

一人一皿づつある、ということである。想像しただけでなんかシアワセになってきますね。

(むむむ)

不置筯、以手掇之。

筯を置かず、手を以てこれを掇す。

どの皿にもお箸はついていない。手づかみで取るのである。

(やるな)

それから、

銀盌二、使注酒。長醊大爵、傍若無人。

銀盌二、酒を注がしむ。大爵を長醊して傍若無人なり。

銀のどんぶりを二つ持って来させて、それに酒を注がせた。あとは、巨大な杯から途切れなく酒を啜り続けて、まわりに誰もいないかのような振る舞いであった。

時徐階年少、勇於酒、互挙無算、歓然而別。

時に徐階年少なれども、酒に勇み、互いに挙げて算無く、歓然として別る。

そのころ、徐階は若かったが、酒はどれだけでも行ける口だったから、互いに乾杯しあって数えることもできないぐらいで、おお喜びのまま別れた。

「なかなかやりおるわい」

それから、毛は出会う人ごとに、

公大器也。

公、大器なり。

「あいつはでかいオトコになるぞ」

と言いふらしたそうである。                                                                      

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明・焦竑「玉堂叢語」巻七より。元気があってよろしい! のでは? 

昔から「わしは肉食でも草食でもない・・・カスミを食って生きているのだ!」というのを決めゼリフにしてきたのですが、ほんとは肉食でも草食でもなく穀物を食って生きています。しかし年老い、かつインフレが食べ物から進行しはじめているみたいなので、これからは少食にならざるを得ないであろう。あるいは昆虫食か。特に若いひとは、巨大などんぶり一杯昆虫食をむしゃむしゃ食って、「なかなかやりおるわい」と言われるようならないといけませんかも。

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