投鼠忌器(鼠に投ぜんとして器を忌む)(「漢書」)
ネズミを投げるのではありません。器を投げるのでもありません。

あとの半日は寝て暮らす、にゃんぞ。
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漢の賈誼が文帝に上疏した文章の中に、こんな言葉がございます。
―――天子というのは、
其尊不可及也。
その尊及ぶべからざるなり。
その尊貴なること、他のものと隔絶しております。
里諺曰、欲投鼠而忌器。此善喩也。
里諺に曰う、「鼠に投げんと欲して器を忌む」と。これ善喩なり。
民衆たちのことわざに、こんなものがございます。
「ネズミが出たので何かを投げつけようとして、ネズミの近くにあるモノを壊してしまうのではないかと心配して止めた」
と。これは実に上手な比喩になっております。
鼠近於器、直憚不投、恐傷其器。況乎貴臣之近主乎。
鼠の器に近きは、ただに憚りて投ぜず、その器を傷つけんことを恐るればなり。いわんや貴臣の主に近きをや。
ネズミでさえ器の近くにおりますと、それだけでモノを投げつけるのをはばかるのでございます。近くにある器を傷つけてしまうことを恐れるからでございます。さて、ネズミでさえなく、天子さまのお側の高位高官の方々でございますれば、どれほどはばかられることでございましょうか。
ですから、諫言する者は、天子のまわりにいる者の批判はしづらいものでございます。その点をよくお弁えください・・・。
いい喩えですね。「君主」は主権者≒国民と読み替えると、現代的に何を言っているかよくわかります。
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「漢書」列伝第十八「賈誼伝」より。国民の信頼を得ている者、輿論が支持している者を批判することはできない。国民を傷つけてしまうかも知れないからである。もちろん国民の選ばれた方々を批判することは敵国に加担することだからできないわけです。(笑)
また、辺野古事件で「平和」団体へのおカネの流し方が明らかになったのですが、これに加担してきた学校を批判することはできない。国民のある一部を批判することになってしまうからである・・・のかな。(サンケイ以外の)オールドメディアのみなさんに言ってみたのですが、みなさん自体があまりに尊貴であるから、その耳に聞こえるはずはないであろう。あ、またこんなことやって導こうとしてくれてる?

「おれたちはたとえ回りに国宝があっても関係なく、やっつけるニャ」
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