遺患至今(遺患今に至れり)(「至正直記」)
あとの人を困らせてはいけません。でも税金払うのイヤだな。

「水滸伝」の英傑なら悪い既得利権者を懲らしめてくれそうだが、「西遊記」の方々は地球を破壊してくれそうです。
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元のころのことですが、湖州の豪僧・沈宗という者、
設教誘衆、自称白雲宗、受其教者可免徭役。諸寺僧以続置田毎妄献三升、号為瞻衆粮。
教を設けて衆を誘い、自ら「白雲宗」と称して、その教えを受くる者は徭役を免るべし、とす。諸寺の僧、以て続置する田ごとに妄りに三升を献じて、号して「瞻衆粮」(せんしゅうろう)と為す。
教義を設定して民衆をいざない、みずから「白雲宗」という宗派を立て、その教えを受け入れた者は、軍隊や強制労働に取られることはない、と言っていた。あちこちの寺の僧も新しい田を開墾すると、特に根拠は無いが、一畝につき三升を献上し、これを「民衆を見ていただく原資」と呼んでいた。
其愚民亦有習其教者、皆冠烏角桶子巾、号曰道人。
その愚民またその教えに習う者有れば、皆烏角桶子巾を冠し、号して「道人」と曰えり。
そのへんの愚民たちの中で「白雲宗」の教えを信じる者は、みな黒いでっぱりのついたおけ型の頭巾をかぶり、「道人さま」と呼ばれていた。
「道人」ですか。この人こそ「道人」と呼ばれるべきかも。かっこいい。東海道、中山道、参宮街道、水戸街道、木下街道などなど、もろもろの古い道はおもしろいです。わたしも吉川弘文館「街道の日本史」全56巻読破して全国を歩き回ろう、としました。が、いまやこんな状態に・・・。
朔望群会、動以百五。
朔望に群会し、百五を以て動く。
毎月、一日と満月の日に集まって来て会合し、三月末の寒食節の日に大きな行事を行っていた。
「百五」は銀行ではないんです。冬至から百五日目、三月下旬の「寒食節」(火を使わない冷たい食事をする日)のことなんです。
一時期はこのようにかなり盛んにやっていたのですが、おえら方に目をつけられてしまった。
及沈敗、粮籍皆没入官、後撥入寿安山寺、官復為経理。
沈の敗するに及びて、粮籍みな官に没入し、後、寿安山寺に撥入して、官また経理を為せり。
沈和尚が後ろ盾を失って死んでしまうと、貯えていた穀物も土地の権利証もすべて官に没収されてしまった。その後、寿安山寺に収め入れたが、会計はすべて役所の方で管理した。
この「籍」(土地の権利証)なるものが問題になったんです。
所献之籍、則有額無田。追徴不已。至于鬻妻売子者有之、自殺其身者有之。
献ずるところの籍、すなわち額有りて田無し。追徴已まず。妻を鬻ぎ子を売るに至る者これ有り、自らその身を殺す者これ有り。
寄付した土地の権利証には、どれだけのものを寄付したかは書かれているのだが、実際の田畑が対応していなかった。
要するに額面だけだったのです。土地が実際には無いのだから無税で当たり前だったのですが、お役所の方ではこれに目をつけた。
役人は、役所に没収したはずの土地が無いというのはおかしいとして、実際の田畑か、それに対応する実費を収めさせようと寄付者たちに何度も強制した。妻子を売るまでに追い込まれた者もいたし、自殺してしまった者もいた。
僧田以常賦外又増所献之数、遺患至今、延及里中同役者。
僧田の常賦の外を以てしまた献ずるところの数を増すは、遺患今に至るも、延いて里中の同役者に及べり。
お寺の所有する田畑が税金の外になるということ、また献上する側は献上する土地の数を増やしてその分の税金を控除させようとすることは、今にいたるもその悪影響が残っており、寄付者以外の村民が負担を背負わされているのである。
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元・孔斉「至正直記」巻三より。当時の制度を前提とした事件らしいので、なかなか難しいのですが、要するに
「お寺に実際より多くの土地を寄進したことにする」
→「お寺は無税なのでこの土地も無税になる」
→「実際には寄進した人が土地を利用して無税で稼ぐ」
→「その分、村の他の人の税金にしわ寄せが行く」
という問題がもともとあって、その上に、この沈和尚の事件では、実体の無い土地を使ったヤバイこと(例えばその権利証を担保に融資を受けるなど)が行われており、没収後にそれに付け込んだ役人によって信者たちが身ぐるみはがされた、と解釈してみました。
ほんとに元代の宗教法人と役人は怪しからんなあ。その点、現代のすぐれた日本は・・・あれ?
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