猶吹毛耳(毛を吹くがごときのみ)(「韓非子」)
さっきからPCの前で何度居眠りしてしまったことか。おなかがつかえて苦しいし。こんな状況でなんとか一週間を乗り越えた(ほとんどのことは来週しますが)のは、すばらしい60点である。いや40点ぐらいかも。

わしは額が広いだけで髪はあるんじゃ。吹いても飛びません。
肝冷庵は今日は横濱中止、東京ドーム売り切れで、早くも今月の観タマノルマ不足確定とはのう。何をやってもダメじゃのう。
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仲尼為政於魯、道不拾遺。斉景公患之。
仲尼魯に政を為し、道に遺を拾わず。斉景公これを患う。
仲尼が魯の国の政治を動かすようになると、ひとびとは道に落ちているものさえ拾わなくなった。隣の国の斉の景公は、この状況をたいへん憂慮した。
仲尼」は孔子を字で呼んだもの。儒家なら「子」というはずですから、これは儒家以外の伝承なのでしょう。
訳した文章を読むと、
①「魯のひとびとは道に落ちているゴミを拾ったりするような公共心を失ってしまったので、隣の斉の景公は隣の国の政治がおかしくなっているのではないかと心配してくれた」
ように読める気がしてきましたが、孔子が悪い政治をした、と言っているはずがないので、これは変だ。道に落ちているのは「ゴミ」ではなく「財布」みたいな有価値物だと考えてください。そうすると、
②「道に落ちた財布も拾わない。摘発や処罰が厳しいので誰もそんなことはしなくなったのだ」
と読めるような気がしてきました。これは一部の人にとってはよい政治かも。しかし、孔子がそんな政治をしたとは思えないので、ひとびとは外からの強制ではなく自らの意思で「拾わなかった」と考えなければなりません。
③「必要な物資が十分にあり、また、他人より利得を得たりマウントを取るのが勝者である、という新自由主義的な考え方もないので、ひとびとは財布を拾わないほど今の生活に満足している」
これでどうだ。書いた方が読ませたい意味はこんなところでしょう。
「孔子だから・・・」という先入観に満ちてないと読めません。ほんとに古代東洋はダメだということがわかります。
さて、景公の心配を聞いて、景公の参謀である黎且(れいしょ)が言った、
去仲尼猶吹毛耳。君何不迎以重禄高位。
仲尼を去るは毛を吹くがごときのみ。君なんぞ重禄高位を以て迎えざる。
「仲尼のやつを魯の政権から去らせるのは、毛を吹いて飛ばすぐらい簡単なことでございましょう。そうして、殿さまはやつを高い給料や地位を示して迎え、政治をやらせてしまえばよいではありませんか」
行って帰って孔子二人分得になります。
「どうすればいいのじゃ?」
「こうするのでございます・・・」
遺哀公女楽、以驕栄其意、哀公必楽之、必怠於政。仲尼必諫、諫必軽、絶於魯。
哀公に女楽を遺(おく)り、以てその意を驕栄にせば、哀公必ずこれを楽しみ、必ず政に怠らん。仲尼必ず諫し、諫するも必ず軽んぜられ、魯に絶せん。
「魯の殿さまの哀公どのに、「むすめ楽団」を贈るのです。それによって哀公どのの気持ちをふがふがと驕り盛んにするのです。哀公どのは必ず「むすめ楽団」をお楽しみになられ、政治におろそかになられましょう。
そうすれば、仲尼は必ず「なりませんぞ」と諫言しますが、諫言しても相手にされない。仲尼は魯を見限ります」
景公は言った、
善。
善し。
「なるほどな。それでいこう。くっくっく・・・」
乃令黎且以女楽六遺哀公。
すなわち黎且をして女楽六を以て哀公に遺らしむ。
ただちに、黎且に命じて、「むすめ楽団」を六つ、哀公に贈り物にした。
乃木坂だけでなく桜坂とかモーニング娘とか、六グループ贈りました。あと三つ挙げてみろ? うーん、テレビ見てないからなあ・・・。ぎりぎりガールズ、おにゃんこクラブ、かしまし娘でどうでしょうか。
哀公楽之、果怠於政。仲尼諫不聴、去而之楚。
哀公これを楽しみ、果たして政に怠る。仲尼諫むるも聴かれず、去りて楚に之けり。
哀公はこれを楽しみ、予想通り政務を怠ってしまった。仲尼が諫めたが、聴かれなかったので、魯を見限って楚の国の方に行ってしまった。
斉に来なかったので片道だけですが、魯を弱めることはできた・・・に違いありません。主権者が政治に興味持たない方がましだ、という考え方も成り立つが。
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「韓非子」巻十「内儲説下」より。音楽と異性を愛するとはすばらしい。「かしまし娘」なんかすぐマンネリ化してしまうかも知れませんが、六週間に一回なら飽きも来ないかも。哀公さまは、人生を楽しむフランスのひとみたいではありませんか。日本の愛人のことは触れているのでしょうか(〇〇ゆ〇子さん?とのウワサでしたが)。こんど立ち読みしてみようっと。
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