一飯二升(一飯二升なり)(「鶏肋編」)
腹苦しくても食べ続けている。

花祭だ。たすけてくだされ、おしゃかさま。
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三代之世、無九年之蓄為不足、而後世常乏終歳之儲。
三代の世には、九年の蓄(たくわ)え無ければ「足らず」と為すに、後世常に終歳の儲に乏し。
夏・殷・周のよき時代には、九年分の備蓄が(通常で、それが)無ければ「足らない」とされていたのに、現代に近づくと、いつも一年を過ごすたくわえも無いことになってしまった。
「礼記」王制篇の、
国無九年之蓄曰不足、無六年之蓄、曰急。無三年之蓄、曰国非其国也。
国に九年の蓄無きを「不足」と曰い、六年の蓄無きを「急」と曰い、三年の蓄無きは、「国にしてそれ国に非ず」と曰うなり。
(超古代の理想的な時代には、)国に九年の備蓄が無いと「足らない」と言い、六年の備蓄が無いと「やばい」と言い、三年の備蓄が無ければ「国の体をもうなしていない(滅亡だ)」と言った。
という記述に基づきます。250日ぐらいの備蓄があれば補助金出してじゃぶじゃぶ使えるのに・・・と現代日本の優越性を確認。為政者が優れている・・・のかも知れません。
こんなことになったのは、
非特敦本力田者少、而食者衆、亦酒醴以靡之耳。
特(ただ)に敦本の力田者の少なきに非ず、また酒醴の以てこれを靡(なみ)するのみ。
マジメに田んぼを耕すひとが少なくなっているというだけではない。酒やあま酒ばかり造って、蓄えをどんどん減らしてしまうからである。
蓋健啖者一飯不過於二升。飲酒則有至於無算。前代以水旱資儲未豊、皆禁酤酒、至於飴糖亦然。
けだし、健啖者も一飯に二升に過ぎず。飲酒は則ち算無きに至る有り。前代には水旱を以て資儲いまだ豊かならざれば、みな酤酒を禁じ、飴糖に至るもまた然り。
というのは、大飯ぐらいであっても、一回の飯で食えるのは二升ぐらいが限界だろう。ところが、酒飲みは数えきれないぐらい飲んでしまえるのである。昔は水害や日照りがあって蓄えの資材が少ない時には、いつもお酒の売買を禁じ、またあめや砂糖も禁止したものである。
一回の飯で食う量が気になりますね。宋代の一升は0.95リットル、現代日本の一升の半分ぐらいです。ということは、当時の二升は今の一升ぐらい、一回の飯で食えないことは・・・さすがに無理か。いや、おすもうさんや大食い選手権ならいける、というぐらいだと思いますから、この二升が限界、という判断は正しいであろう。
むかしの例を見てみましょう。
漢
景帝三年(前154)夏、日照り。酒の売買を禁止。後元年(前143)許可
武帝・天漢三年(前98)酒を専売化。
昭帝始元六年(前81)専売中止。
後漢
和帝・永元十六年(104)兗州等多雨、酒売買禁止。(解禁日不明)
順帝・漢安二年(143)酒売買禁止
三国
蜀先帝(在位221~223)日照り。禁酒(作ることも不可)。(解禁日不明)
東晋
孝武帝・太元八年(383)禁酒解禁(禁酒日不明)
安帝・隆安五年(401) 飢饉、禁酒
後趙
石勒(在位319~333)・・・以百姓始復業、資儲未豊、於是重制禁醸、郊祀宗廟皆以醴酒、行之数年、無復醸者。
百姓始めて業に復するを以て資儲いまだ豊かならず、ここにおいて重ねて禁醸を制し、郊祀・宗廟みな醴酒を以てす。これを行うこと数年、また醸す者無し。
人民たちがやっと(戦乱を乗り越えて)農業などの職業に復帰したが、資本も手持ちもまだまだ少ない。そこで、またまた醸酒を禁制にし、郊外でのお祀りも君主のご先祖祭りもすべて「あまざけ」を使うことにした。
こんなことを数年続けたところ、もうお酒の醸造をしたいと願い出る者はいなくなってしまった。
南朝宋
文帝元嘉十二年(435)六月 禁酒、二十一年(444)正月にも禁酒を命じた。飢餓を心配したのである。二十二(445)年八月、怪禁。豊作であったためである。
唐
高宗・咸享元年(670)、穀物の値上げに対応して禁酒。
粛宗・至徳三載三月(758)、酒の売買を禁止。麦の豊作を確認して解除。
徳宗・大暦十四年(779)、酒専売を停止(開始は不明)、建中三年(782)再開。
また、
南朝宋・明帝(在位465~472)の時、日照りで飢餓が起こった。この時、顔峻上奏して、
禁餳一月。息米近万斛。
餳(とう)を禁ずること一月。息米万斛に近し。
糖あめの作成を一か月禁止。使わなかったコメを貸し出して、収穫から返させたところ一万斛の利息が入った。
一斛=十斗≒20リットルで計算すると20万リットルだ。
我が南宋の紹興初年(1131)、
穀貴、酒価不足以償米麪之直。
穀貴く、酒価、以て米麪の直を償うに足らず。
穀物の値段が高くなってしまい、酒の値段では、原料のコメやムギの代金を払うこともできなくなった。
ということも起こっています。
余嘗献議、欲以穀代俸銭而禁酤酒、時以為訝。
余、嘗て献議して、穀を以て俸銭に代え、酤酒を禁ぜんと欲するも、時に以て訝しとせり。
わしは以前、官僚たちには貨幣ではなく穀物で給与を支払い、かつ酒の売買を禁ずる、という献策したことがあったが、(過去の例からみておかしいとは思わないが)当時はずいぶんと疑問を呈されたものである。
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宋・荘綽「鶏肋編」巻中より。よく調べました。お酒が禁じられることが何度もあったということがわかりました。だた年寄はもう放っておいてもらって、若い人でやってもらえばいいと思います。トランプさんの「今晩一つの文明が滅ぶ」で興奮してましたが、また騙されたかっこうになりました。
なんだかちぐはぐなことが多い世の中ですね。
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