4月8日 だらだらいつもお菓子など食っている

一飯二升(一飯二升なり)(「鶏肋編」)

腹苦しくても食べ続けている。

花祭だ。たすけてくだされ、おしゃかさま。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三代之世、無九年之蓄為不足、而後世常乏終歳之儲。

「礼記」王制篇の、

国無九年之蓄曰不足、無六年之蓄、曰急。無三年之蓄、曰国非其国也。

という記述に基づきます。250日ぐらいの備蓄があれば補助金出してじゃぶじゃぶ使えるのに・・・と現代日本の優越性を確認。為政者が優れている・・・のかも知れません。

こんなことになったのは、

非特敦本力田者少、而食者衆、亦酒醴以靡之耳。

特(ただ)に敦本の力田者の少なきに非ず、また酒醴の以てこれを靡(なみ)するのみ。

マジメに田んぼを耕すひとが少なくなっているというだけではない。酒やあま酒ばかり造って、蓄えをどんどん減らしてしまうからである。

蓋健啖者一飯不過於二升。飲酒則有至於無算。前代以水旱資儲未豊、皆禁酤酒、至於飴糖亦然。

一回の飯で食う量が気になりますね。宋代の一升は0.95リットル、現代日本の一升の半分ぐらいです。ということは、当時の二升は今の一升ぐらい、一回の飯で食えないことは・・・さすがに無理か。いや、おすもうさんや大食い選手権ならいける、というぐらいだと思いますから、この二升が限界、という判断は正しいであろう。

むかしの例を見てみましょう。


景帝三年(前154)夏、日照り。酒の売買を禁止。後元年(前143)許可
武帝・天漢三年(前98)酒を専売化。
昭帝始元六年(前81)専売中止。
後漢
和帝・永元十六年(104)兗州等多雨、酒売買禁止。(解禁日不明)
順帝・漢安二年(143)酒売買禁止
三国
蜀先帝(在位221~223)日照り。禁酒(作ることも不可)。(解禁日不明)
東晋
孝武帝・太元八年(383)禁酒解禁(禁酒日不明)
安帝・隆安五年(401) 飢饉、禁酒
後趙
石勒(在位319~333)・・・以百姓始復業、資儲未豊、於是重制禁醸、郊祀宗廟皆以醴酒、行之数年、無復醸者。

南朝宋
文帝元嘉十二年(435)六月 禁酒、二十一年(444)正月にも禁酒を命じた。飢餓を心配したのである。二十二(445)年八月、怪禁。豊作であったためである。


高宗・咸享元年(670)、穀物の値上げに対応して禁酒。
粛宗・至徳三載三月(758)、酒の売買を禁止。麦の豊作を確認して解除。
徳宗・大暦十四年(779)、酒専売を停止(開始は不明)、建中三年(782)再開。

また、
南朝宋・明帝(在位465~472)の時、日照りで飢餓が起こった。この時、顔峻上奏して、
禁餳一月。息米近万斛。

一斛=十斗≒20リットルで計算すると20万リットルだ。

我が南宋の紹興初年(1131)、

穀貴、酒価不足以償米麪之直。

ということも起こっています。

余嘗献議、欲以穀代俸銭而禁酤酒、時以為訝。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・荘綽「鶏肋編」巻中より。よく調べました。お酒が禁じられることが何度もあったということがわかりました。だた年寄はもう放っておいてもらって、若い人でやってもらえばいいと思います。トランプさんの「今晩一つの文明が滅ぶ」で興奮してましたが、また騙されたかっこうになりました。
なんだかちぐはぐなことが多い世の中ですね。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す