為登龍門(龍門を登ると爲す)(「後漢書」)
門まで来ましたが、もうダメだ。清明のいい季節に誘われてここまで来たが、なかなか進めません。さて、この門の向こうには何があるのであろうか。

門を通り抜けたらおれがいたりするでクマー。
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後漢の桓帝の延熹九年(166)のころのことですが、
是時朝庭日乱、綱紀頽阤、李膺独持風裁、以声名自高。
この時朝庭日に乱れ、綱紀頽阤し、李膺独り風裁を持して、以て声名自ずから高し。
この時期は、朝廷(屋根があるので「庭」になっています)は日々に乱れがひどくなっており、綱紀がくずれゆるんでいた。その中で、李膺(りよう)だけは厳格な気風と裁断力を持っており、ために名声がおのずと高かった。
士有被其容接者、名為登龍門。
士のその容接を被る有る者、名づけて登龍門と為せり。
ひとびとは、サムライの若者が李膺に面接できたりすると、「龍門を登った」と言っ(て褒め)た。
登龍門というのは「龍門を登る」のであって「龍に登る門」ではありません。「龍門」は絳州・龍門にある、黄河の水が滝のようになって下っている出口で、激流の地である。
六朝期の辛氏「三秦記」にいう、
河津一名龍門。水険不通、魚鼈之属莫能上、江海大魚薄集龍門下数千、不得上。上則得龍。
河津、一名龍門なり。水険しくして通じず、魚鼈(ぎょべつ)の属よく上るなく、江海の大魚、龍門の下に薄(せま)り集まること数千、上るを得ず。上ればすなわち龍なるを得。
黄河船着き場、またの名を「龍門」という。水流が激しくて上流に登ることができない。魚やすっぽんの類も昇ることができず、でかい川や海から集まってきた大きな魚が、数千匹もこの龍門の下に集まって、上流に登ろうと迫るが、登れない。登れると龍の力を得ることができる。
というのである。
絳州は山西にあります。河南にある龍門石窟の場所とは違うので、間違って河南に行っても出世できないので間違わないでください。
「出世」といいましたか? 李膺は正義派の官僚なので宦官勢力と衝突、
及遭党事、当考実膺等。案経三府、大尉陳蕃却之。
党事に遭うに及びて、膺等を考実するに当たる。案、三府を経るに、大尉・陳蕃これを却(しりぞ)く。
宦官らの主張により正義派を「党人」として処罰することになって、李膺たちも罪にあたる罰を受けることになり、どのような処罰をするか、三人の大臣たちのところに決裁が回ってきたが、大尉の陳蕃は(もとから李膺と同じ立場であったから)この案を却下した。
陳蕃がいうには、
今所考案、皆海内人誉、憂国忠公之臣。此等猶将十世宥也、豈有罪名不章而致収掠者乎。
今考うるところの案は、みな海内の人誉にして、憂国忠公の臣なり。これらなお十世の宥たるべきなり、あに罪名不章にして収掠を致す者有らんや。
今回問題となっている処罰案の対象は、みんな国内のひとびとが褒めたたえる人たちであり、国を憂い公にまごころを尽くしている方たちだ。この人たちは十代あとまで処罰を免れるような人たちなのに、罪名も明らかでないのに逮捕して収監してしまうようなやつはいるのか?
そして、
不肯平署。
平署を肯ぜず。
決裁に連署しようとしなかった。
霊帝愈怒、遂下膺等於黄門北寺獄。
霊帝いよいよ怒り、遂に膺らを黄門の北寺の獄に下す。
(宦官派の)霊帝はむちゃくちゃ怒って、とうとう李膺らを逮捕して宦官が管理する北監獄に放り込んでしまった。
そこで獄死させられるかと思ったのですが、
膺等頗引宦官子弟、宦官多懼、請帝以天時宜赦、於是大赦天下。
膺らすこぶる宦官の子弟を引き、宦官多く懼れて、天時の赦すべきを以て帝に請い、ここにおいて天下に大赦せり。
李膺たちは既に宦官の子弟たちをしょっ引いていた。子弟たちから悪事が洩れることを恐れた宦官たちは、天文や季節が恩赦にふさわしい時期になっていると帝に強くお願いし、ついに天下に大赦を出してもらった。
大赦によって罪を無くして釈放させ、捕まっている子弟たちがいろいろ尋問されないようにしたのです。
それによって李膺も釈放され、
膺免帰郷里。
膺、免れて郷里に帰る。
李膺は(このときは)赦免を受けて郷里に帰って隠棲した。
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「後漢書」巻六十七「党錮列伝」より。あれ? 登龍門した人たちは出世しないんですか。
李膺は、このあと上の陳蕃らが起こしたクーデタの失敗で起こった第二次の党錮事件(霊帝建寧二年(169))で捕まって、死罪になります。彼の妻子は辺境に流され、
門生、故吏及其父兄並被禁錮。
門生、故吏及びその父兄、並びに禁錮せらる。
弟子や昔の部下、さらに彼らを李膺のもとに弟子入りさせたおやじや兄貴などもみんな、禁錮刑にされた。
ということで、李膺の門弟らはみんな自宅に監禁されました。この「党錮の禁」が後漢の国力、特に各地の名族を禁錮することで地方支配を格段に弱め、「黄巾の乱」を誘発したといわれます。
「龍」になった人たちが出世できずに罪人にされてしまうなんておかしい! いや、彼らは正義の「龍」になったのであって、「立派な人間として認められた」のが登龍門。「富や高い地位」や芥川賞などにある人が「龍」だと読み替えてしまうのは、カネや序列にしないと物事を把握できない日本人の悪いクセではないかと思います。
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