気呑大八州(気は大八州(おおやしま)を呑む)(「酔後縦筆」)
今日もたくさんウソをつきました。今日しゃべったことは全部ウソ。本当のことは一つも言ってません。
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これは明治の半ばごろのことだと思いますが、酔ってしまった。酔って書きつける。
家徒四壁蓬蒿満、先生処世迂而懶。
家はただ四壁のみにして蓬蒿満ち、先生の世に処ること迂にして懶。
(先生の)家は四方に壁があるだけの粗末なもので、よもぎ草や背の高い草がいっぱいに生えている。先生の世間への対応は、遠回りでしかもやる気がない。
世人指笑呼為愚、先生雖愚心則坦。
世人指さして笑い呼びて愚と為し、先生は愚といえども心すなわち坦なり。
世間のひとは(先生を)指さして「おろかものだねえ」と呼ぶが、先生はおろかものだが心は平らかである。
奔流砕影月在天、浮雲呑吐山依然。
奔流は影を砕くも月は天に在り、浮雲は呑吐するも山は依然たり。
ほとばしる流れが水に映った月の影を砕く。けれどホンモノの月は空にある。
あてどない雲は山を隠したり出したりする。しかし山はそのままそこにある。
本来無物又有物、伸為大千縮一塵。
本来無物また有物(うぶつ)、伸びては大千と為り縮みて一塵となる。
もともと常住のものなど何もないのじゃ。だが、すべてのものはしっかりと存在している。(この矛盾を解いてみよ)
世界は広げると大千世界となり、縮めれば一粒の塵になる。(この不思議を体認せよ)
駿馬揚揚蹴塵至、借問他是何官吏。
駿馬揚揚として塵を蹴りて至る、借問(しゃもん)す他(かれ)はこれ何の官吏ぞ。
かっこいいウマが意気揚々と砂塵を蹴立ててやってくる。ちょいと質問してみよう、あの人はいったいどこの役所のお役人かね。
経済官庁のひとでしょうか。
百年一夢歓幾時、何苦営営奔勢利。
百年は一夢、歓びは幾時ぞ、何ぞ営々として苦しみて勢利に奔らん。
(長くとも)百年(の人生)は一晩の夢のように過ぎ去り、その中で喜びの時間というのはどれぐらいあるのだろうか。そんな中で、どうしてマジメに苦しみながら、権勢や利益の分け前に与かろうと走り回るのじゃ?
君不見、英雄気呑大八州、荒陵化為土一抔。
君見ずや、英雄の気は大八州を呑むも、荒陵は化して土一抔(ほう)と為る。
「一抔」(いちほう)は「一掬い」。「一抔の土」は後漢以来「墳墓」を指す言葉ですが、則天武后が唐・高宗の死後皇太子を廃立したとき、駱賓王(らく・ひんのう)に
一抔之土未乾、六尺之孤安在。
一抔の土いまだ乾かざるに、六尺の孤はいずくにかある。
先帝の墓の一すくいの土は埋められて時が経たずまだ乾かないのに、後に託された六尺(120センチぐらい)の子ども(皇太子のことです)はどこに行ってしまったのだ?
と批判されたのが有名です。
おまえさんは見たことがないのかね。
英雄の雄壮な気分は大八島、日本列島をさえ呑み込もうとするほどだったのに、彼の荒れ果てた墓は、ひとすくいの土くれとなってしまっているのを。
以上でした。もう寝よう。
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本朝・川北梅山「酔後縦筆」(酔ったあと、好き放題書く)(「明治大正名詩選」所収)。川北梅山は通称「栄吉」、伊勢の人、幕末の名儒・齋藤拙堂に学び、維新後貢士となって権大史に至る。辞職後世間との付き合いを絶って、明治三十八年没。酔っぱらっているのであってウソをついているのではないようです。逆にいえばより率直というべきなのであろう。
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