二主之相去(二主の相去ること)(「鶏肋篇」)
どちらがいいのかと言われると困りますよね。その時その時の自分の立場によって違うような気がします。

あかおに的には厳しい上司がいいぜ。認められてこちらもビッグになれる。この記事いろいろ詰まっていて、ためになるぜ。

あおおには優しい上司でいいね。つけ入るスキもありそうだからね。こちらの記事も勉強になるよ。
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唐の二代目・実質的な創設者といわれる太宗皇帝(在位626~649)は、
嘗玩禁中樹、曰、此嘉木也。
嘗て禁中の樹を玩び、曰く「これ嘉木なり」と。
ある時、宮廷内の樹木に心を奪われ、言った、「これはいい木じゃなあ」と。
宇文士及従旁美歎。
宇文士及、旁らより美歎す。
宇文士及(うぶん・しきゅう)がお側にいて、横でそのすばらしさにためいきをついた。
すると、
帝正色曰、魏徴常勧我遠佞人。不識佞人為誰、今乃信然。
帝色を正して曰く、「魏徴常に我に佞人を遠ざくを勧む。佞人の誰たるかを識らざるに、今すなわち信に然り」と。
帝は厳粛な顔つきになって言った、
「以前、(今は死んだ)魏徴が、わたしに「へつらいびとを近づけてはなりませぬ」とよく言っていた。当時、へつらいびとというのがどんなやつのことかわからなかったのだが、今、ここに本当にそうだとわかったわい」
つまり、「おまえだ!」と。
「貞観政要」などで有名はお話でございますが、一方、開元の治を開いた玄宗皇帝(太宗の曾孫に当たります。在位712~756)は、
在殿廷翫一嘉樹、姜皎盛賛之。帝遽令徙植其家。
殿廷に在りて一嘉樹を翫(もてあそ)ぶに、姜皎(きょう・こう)盛んにこれに賛す。帝、遽かに令してその家に徙植せしむ。
宮中で一本のすばらしい木を称賛していたところ、姜皎という者が盛んにその意見に賛成していた。帝は、すぐに命令を下し、その木を姜皎の家に移し替えてやった。
二主之相去、以是可知矣。
二主の相去ること、是を以て知るべきなり。
二人の君主の相違点、これを見ればわかるような気がする。
ただし、部下に甘かった玄宗が、晩年に安禄山の大乱を惹起してしまったことを前提として考えなければいけません。選手に厳しい阿部監督や藤川監督が評価されるゆえんである。
ところで、太宗から三代目の高宗にかけて仕えた王義方という人、
買第後数日、愛庭中樹。
第を買いて後数日、庭中の樹を愛す。
屋敷を買ってから数日後、庭に植えられていた木をたいへん気に入った。
復召主人、曰此嘉樹、得無欠償乎。又予之銭。
また主人を召して、曰く、これ嘉樹なり、得て欠償無きか、と。またこれに銭を予う。
そこでまた元の主人を呼び出して、言うに「これはいい木じゃな。支払い不足はないか」と。そしえ、その人にさらにおカネを渡した。
此又足見廉士之心也。
これまた廉士の心を見るに足る。
このエピソードもまた、正直で貧乏な士の心映えを見るに足りよう。
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宋・荘綽「鶏肋編」巻上より。でもほんとは廉士はおカネないから屋敷自体を買わないのでは・・・というのが肝冷斎グループの意見です。
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