3月29日 今日も衰え、階段上るのツラい。

居非命之世(非命の世に居る)(「後漢書」)

社会全体が衰えていく時には、個人の努力ではどうしようもないらしいんです。毎日ぺこぺこしたり、びくびくしたりしなければならん。

職場の女性活躍は進んでいるようです。全勝さんがどこかの新聞記事から切り抜いてくれるおかげで新聞読まなくていいから楽ちんだ。
そういえばおひなさまの三月三日ごろはまだ平和な世の中でした。石油やナフサがもう無くなる、なんて思えなかった。自衛隊が部内講習会にそんな人たちを呼んできているとも知らなかったなあ。

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後漢の建和元年(147)、外戚・宦官勢力を代表する大将軍・梁冀の権力の下、幼帝の即位に反対した正義派の李固が誅殺されました。梁冀の指示で、

露固尸於四衢、令有敢臨者加其罪。

汝南のひと郭亮というのがやってきて、

詣闕上書、乞収固屍。不許、因往臨哭、陳辞於前、遂守喪不去。

洛陽城の北西側の出口を「夏門」というのだそうですが、李固のさらしはその門の近くでおこなわれたのでしょう。夏門を管理する亭長がやってきて、郭亮を𠮟りつけて言った、

公為大臣、不能安上納忠、而興造無端。卿等何等腐生、公犯詔書。干試有司乎。

郭亮曰く、

亮含陰陽以生、戴乾履坤。義之所動、豈知性命。何為以死相懼。

亭長、「ああ」と歎いて曰く、

居非命之世、天高不敢不跼、地厚不敢不蹐、耳目適宜視聴、口不可以妄言也。

と。
「詩経・正月」にいう、

謂天蓋高、不敢不跼、謂地蓋厚、不敢不蹐。

と。「跼天蹐地」は世の中は常にヤバイので、おそれおののきながら行動しなければならない、という意味です。この「亭長」は相当の教養のある人が己を隠して務めているものであろう。

その後、南陽の董班というひともやってきて、死体の前で大声をあげて泣いた。大后さまは二人を憐れんで、李固の遺体を運び出すことを許したのである。

よかったですね。

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「後漢書」巻六三「李杜列伝」より。いつの世も非命の世ですから、我々(わたし+みなさん)がいつもぺこぺこ、またびくびくして行動しているように見える、のは、「跼天蹐地」を実行しているんです。その証拠には、安全なところではえらそうにしている、と思います。

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