居非命之世(非命の世に居る)(「後漢書」)
社会全体が衰えていく時には、個人の努力ではどうしようもないらしいんです。毎日ぺこぺこしたり、びくびくしたりしなければならん。

職場の女性活躍は進んでいるようです。全勝さんがどこかの新聞記事から切り抜いてくれるおかげで新聞読まなくていいから楽ちんだ。
そういえばおひなさまの三月三日ごろはまだ平和な世の中でした。石油やナフサがもう無くなる、なんて思えなかった。自衛隊が部内講習会にそんな人たちを呼んできているとも知らなかったなあ。
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後漢の建和元年(147)、外戚・宦官勢力を代表する大将軍・梁冀の権力の下、幼帝の即位に反対した正義派の李固が誅殺されました。梁冀の指示で、
露固尸於四衢、令有敢臨者加其罪。
固尸を四衢に露し、敢て臨む者有ればその罪を加えしむ。
李固の死体は四辻に曝され、あえて死体を納めとろうという者があれば、きつい罪を与えることされた。
汝南のひと郭亮というのがやってきて、
詣闕上書、乞収固屍。不許、因往臨哭、陳辞於前、遂守喪不去。
詣闕して上書し、固の屍を収むることを乞う。許さず、因りて往きて臨哭し、前に陳辞して、ついに守喪して去らず。
李固の亡骸の野ざらしを停止してほしいと宮中に上書したのですが、許可されなかった。そこで、死体のある四辻まで行って、大声をあげて泣き、死者に捧げる辞を読み上げて、ついにそのままその場で喪に服して、去ろうとしなかった。
洛陽城の北西側の出口を「夏門」というのだそうですが、李固のさらしはその門の近くでおこなわれたのでしょう。夏門を管理する亭長がやってきて、郭亮を𠮟りつけて言った、
公為大臣、不能安上納忠、而興造無端。卿等何等腐生、公犯詔書。干試有司乎。
公は大臣たりて、上を安んじ忠を納むること能わず、興造端無し。卿等は何等の腐生ぞ、公に詔書に犯し、有司を干試するか。
李固公は大臣であった。それなのに、皇帝を安定させ、真心を捧げることができず、国を興すことについてははじめることもできなかった。おまえさんらはどういう腐った儒学者なことか、公式に出ている詔に背き、役所がどんなふうに出てくるかと試みているとは。
郭亮曰く、
亮含陰陽以生、戴乾履坤。義之所動、豈知性命。何為以死相懼。
亮は陰陽を含みて生じ、乾を戴き坤を履く。義の動かすところ、あに性命を知らんや。何すれぞ死を以て相懼れんや。
この亮めは、生まれた時から陰の要素と陽の要素を持っております。つまり、天を頭にかぶり、地をくつにして踏んづけている。道義に突き動かされて、人間の本質や運命の迎え方といったことを知りません。どうして死ぬことが恐ろしいなどと思うでしょうか。
亭長、「ああ」と歎いて曰く、
居非命之世、天高不敢不跼、地厚不敢不蹐、耳目適宜視聴、口不可以妄言也。
非命の世に居りては、天高きも敢えて跼ずんばあらず、地厚きも敢えて蹐せずんばあらず、耳目は適宜に視聴し、口に以て妄言すべからざるなり。
こんな天命を貫くことのできない時代でござるぞ。空は高いといっても、背中を曲げてへいこらしないわけにはいきますまい。大地は厚いといっても、ぬき足さし足で気を付けないわけにはいきますまい。耳と目は適当なことだけを見たり聞いたりし、口にはいい加減なこと(正義のコトバ)を口にしてはなりません。
と。
「詩経・正月」にいう、
謂天蓋高、不敢不跼、謂地蓋厚、不敢不蹐。
天なんぞ高しと謂う、敢て跼せずんばあらず、地なんぞ厚きと謂う、敢て蹐せずんばあらず。
天が高いという人もいるが、背中を曲げて行かなければならない、大地が厚いという人もいるが、抜き足差し足で行かねばならない。
と。「跼天蹐地」は世の中は常にヤバイので、おそれおののきながら行動しなければならない、という意味です。この「亭長」は相当の教養のある人が己を隠して務めているものであろう。
その後、南陽の董班というひともやってきて、死体の前で大声をあげて泣いた。大后さまは二人を憐れんで、李固の遺体を運び出すことを許したのである。
よかったですね。
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「後漢書」巻六三「李杜列伝」より。いつの世も非命の世ですから、我々(わたし+みなさん)がいつもぺこぺこ、またびくびくして行動しているように見える、のは、「跼天蹐地」を実行しているんです。その証拠には、安全なところではえらそうにしている、と思います。
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