悦然後食(悦びて然る後食らう)(「新序」)
悦ばないと食わない、とはなんと自制心の強い人であろうか。

肝冷庵の日々は、趣味とも言えない観タマ、観ネコなどで費やされて行くのだ。ほかにノルマ読書などもかなり苦痛だ。
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戦国時代の斉の国で出来ごとだそうですが、
靖郭君残賊其百姓、害傷其群臣。
靖郭君、その百姓を残賊し、その群臣を害傷す。
靖郭君(と死後呼ばれることになる薛侯の田嬰)は、その領地の人民を残虐に収奪し、その部下をいじめて傷つけることが多かった。
このため、
国人将背叛共逐之。其御知之、予装齎食。
国人まさに背叛してともにこれを逐わんとす。その御、これを知り、予(あらかじ)め装いて食(し)を齎(もたら)せり。
(薛を含む)斉の国のひとびとは、まさに反乱を起こして彼を追放しようとしていた。靖郭君の馬車の御者(秘書みたいな役割も持ちます)は、ひとびとの感情と計画を察知して、あらかじめ緊急時の食べ物を用意して持ち歩いていた。
及乱作、靖郭君出亡。
乱の作(おこ)るに及びて、靖郭君出亡す。
反乱がついに起こったので、靖郭君は国外に亡命した。
至於野而饑、其御出所装食進之。
野に至りて饑え、その御、装うところの食を出だしてこれを進む。
国境あたりの原野まで来たところで、(靖郭君はたいへんおなかを空かせていたので)その御者は、用意していた食べ物を出して、食べさせた。
食べ物を手にしながら、靖郭君は言った、
何以知之、而齎食。
何を以てこれを知り、しかも食を齎すや。
「どうしてこんなことになると予測して、こういうふうに食べ物まで用意していたのかのう?」
御者はお答えした、
君之暴虐、其臣下之謀久矣。
君の暴虐なる、その臣下の謀する、久しきかな。
「殿さまは暴虐でいらっしゃいますから、その部下や領民がいろいろ謀略を企んでいたのは、ずいぶん前からなんですよ」
「なにい!」
靖郭君は、
怒不食。曰、以吾賢至聞。何謂暴虐。
怒りて食らわず。曰く、「吾が賢を以て至聞す。何をか暴虐と謂うか」と。
ものすごく怒り始めて、食べ物を突っ返してきた。そして言うに、
「わしを賢者だという評判は各方面に知れ渡ってるではないか。どうしてそのわしを暴虐などと批判するのか。
わしは、わしの悪口を聞いたことがないぐらいなんじゃぞ!」
其御懼曰、臣言過也。君実賢、唯群臣不肖、共害賢。
その御懼れて曰く「臣の言過てり。君実に賢、ただ群臣不肖なれば、ともに賢を害す」と。
その御者は恐れおののいて申し上げた。
「臣のコトバは誤っておりました。君公さまは実にお賢こい。ただ群臣どもが本当にダメなやつらで、束になって賢者(の殿さま)を追放したのでした」
「うんうん」
靖郭君悦然後食。
靖郭君、悦びて然る後に食らえり。
靖郭君はお喜びなり、それからお食べになった。
靖郭君雖至死亡、終身不諭者也。悲夫。
靖郭君、死亡に至るといえども、身を終えるまで諭(さと)らざるなり。悲しいかな。
靖郭君は死んでしまうまで、生涯、わからなかった人なのである。悲しいことではありませんか。
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漢・劉向「新序」巻五「雑事篇」より。斉の靖郭君というのは、威王(前356~前320)の末子で、宣王(在位前319~前301)の時にかけて仕えた薛公・田嬰(孟嘗君・田文のおやじです)のことなのですが、田姓斉国の最盛期を支えた田嬰が亡命したという事実が確認できません。実話というより劉向が収集してきた稗史小説の類なのかと思われます。
いやもしかしたら黒歴史がたくさんあって、その記録は机の下などに隠してあったのが見つかったのかも知れません。全勝さんは大丈夫でしょうけど。520万キリ番惜しかった。
観ネコ記 令和8年3月24・25日
今週沖縄に行って観ネコしていたのを忘れるところでしたので、ここに記録しておきます。

じゃーん!

一か月ぶりの首里ネコでした。冬毛が抜けたからか、かわいくなって見えます。だが、相変わらずの暴虐だ。われら人民の反乱も近いかも。

浦添の公園にいました。①一段離れたところまで手を延ばすと逃げる、②足が悪いらしくて段を下がるのに苦労している(昇る方がいいみたい)という二つの条件を満たすために苦労してかりかりを食わせる。

那覇市某所の看板ネコ。
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