3月26日 ずいぶん居眠りしているのに眠い

無木無魚(木無く魚し)(「鶏肋編」)

サイタマみたいなものでしょうか。いや、サイタマは人情に篤い。関西の方か。

さくらもち美味い。鶏肋の比ではないでもっち。でもこんな悪口ばかり書いていると友だち失くすでもっち。本名でないから大丈夫?全勝さんの教えに真っ向から歯向かうでもっち?

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宋の時代のことですが、浙江の越州は、

在鑑湖之中、繞以秦望等山、而魚薪艱得。

そこで、俗諺に言う、

有山無木、有水無魚、有人無義。

と。人情が薄いのでしょう。ところがこのコトバには、

里俗頗以為諱、言及無魚、則怒而欲争矣。

ほんとに人間が成っていない。また、

井深者不過丈尺、浅者可以手汲、霖雨之時、平地発之則泉出。

これは湖に取り囲まれているからさもありなん、という特徴だが、

然旱不旬日、則井已涸矣。皆謂泉乃横流故爾。蓋滅裂不肯深浚、致源不広也。

そこでまたこんな風に言われている、

地無三尺土、人無十日恩。

ただし、

此語通二浙皆云。

なので、越州の人はこのコトバを聞いても怒ってはこない。

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宋・荘綽「鶏肋編」上より。荘綽は字・季裕、自らは福建・清源のひと、と言っているそうですが、成長したのは河南・潁川、北宋の終り頃に官について、南宋のはじめごろまで、実に多くの任地で役人生活を送ったそうです。↑で浙江の悪口言いまくっているので、自分の出身地かと思ってましたが、生まれ育ちには全く関係ないみたいですね。これは友だち失くすぞ。
人生の細かいことはあんまりわからないのですが、彼の遺した随筆集が「鶏肋編」。もちろん、魏武侯・曹操がもう肉は無いけど捨てられない、価値は無さそうだけどなかなか思い切れないものを「鶏肋、鶏肋」(ニワトリの骨付き肉)とつぶやいたという故事に従って、「価値は無さそうなんだけど捨てきれない事件や考証のメモ」を記録してくれました。少し先輩の沈括「夢渓筆談」と並称される名著です。
先月から読んでいた清・金埴の「不下帯編・巾箱説」を読み終わったので、今度はこれを読みます。今日の記事も如何にも「鶏肋」でしょう。
どこの国でも社会はメンバーシップ型、企業だけが特異なジョブ型、日本は企業もメンバーシップ型のよい社会、なのかも知れません。労働生産性は低いのでしょう。衰退国家なので。

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