孤寡不穀(孤、寡、不穀なり)(「戦国策」「老子」)
「専制者はそうでない者のようにして忍び寄る」そうです。典拠不明。この間どこかで読んだんですが。こんな気の利いたの、東洋ではないと思うので、ヘーゲルかなあ・・・。

たちばなの花のように爽やかに生きたいものです。え?「腐ったみかん」のように?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月17日の「戦国策」の続きです。もう忘れていると思いますが、斉の宣王と賢者・顔蜀の会話でした。
顔蜀が言った、
古大禹之時、諸侯万国。何則徳厚之道得貴士之力也。故舜起農畝、出於野鄙、而為天子。
いにしえ、大禹の時、諸侯万国なり。何なれば則ち徳厚の道、士を貴ぶの力を得るなり。故に舜は農畝に起こり、野鄙に出づるも、天子と為れり。
おおむかし、夏の禹王のころ(紀元前20世紀とか?)は、諸侯の国は一万ぐらいありました。どうしてそれが成立していたかというと、当時は徳の厚い(政治)手法が取られ、士を貴んでいたので、その力が使えたからです。だから、(その力を使って、禹の一代前である)舜は、畑作農業から身を起こし、田舎者出身でしたが、天子となれたのです。
原始の時代ですから、村ごとに首長がいて、酋長みたいにして他の者より少し大きな墓を作り、耳輪とか鏡を副葬品にしていた・・・のかも知れません。
いずれにしろ、顔蜀が言っているのは「仮説」ですが、「真理」のように言うので説得力があります。・・・ありませんか。
及湯之時、諸侯三千。當今之世、南面称寡者、乃二十四。由此観之、非得失之策与。
湯の時に及びて、諸侯三千なり。当今の世には、南面して寡を称する者、すなわち二十四。これに由りてこれを観れば、得失の策にあらざるか。
殷の初代・湯王の時(このあたりから歴史になります。紀元前16世紀ぐらい)になると、諸侯の数は三千ぐらいになりました。それが、現代(斉宣王は在位前319~前301)では、臣下に南面して「寡」(諸侯の一人称)と名乗る者(つまり諸侯)は、二十四人でございます。この変遷を観察すれば、どうも国策として、(士の力を)得ると失うの違いがあるのではないでしょうか。
それに、一万→三千→二十四と減ってきましたが、
稍稍誅滅、滅亡無族之時、欲為監門閭里、安可得而有乎哉。
稍稍(しょうしょう)として誅滅され、滅亡して族無きの時、監門閭里たらんと欲するも、いずくんぞ得て有るべけんや。
「稍稍」(しょうしょう)は「少しづつ」「だんだんと」の意。
だんだんと殺し滅ぼされ、滅亡して一族みなごろしの時、(士が落ちぶれてなるように)村の管理人や門番になろうとしても、どうしてそうなることができるでしょうか。(殺されるしかありません。)
君主であることは大変であり、ひとたび地位を失うと徹底的にやられます。やはり士よりも貴ばれてないのです・・・。
この後、臣下に意見を聴いた人だけが名君となった、というようなお話があり、「老子」の次のコトバが引かれます。
雖貴以賤為本、雖高以下為基。是以侯王称孤寡不穀、是其以賤為邪非乎。
貴と雖も賤を以て本と為し、高と雖も下を以て基と為す。これを以て侯王は「孤・寡・不穀」と称す、これその賤を以て為すに非ざるか。
「不穀」=「穀物ではない」。人間は穀物でないのは当たり前ですよね。というのはしろうと。この「穀」は、「穀物はいいものである」→「穀は善である」ということから、意味は「善」です。「不穀」は「ダメ人間」ぐらいの意味でしょう。
貴い身分といっても、もともとは賤しいのだ。高い地位といっても、しもじもが支えているのだ。だから、王さまや諸侯は、自分のことを「孤」(みなしご)、「寡」(やもめの独り者)「不穀」(ダメ人間、ごくつぶし)と呼ぶのである。これは、自分を賤しくしているのではないだろうか。
また、顔蜀のコトバに戻ります。
夫孤寡者、人之困賤下位也。而侯王以自謂、豈非下人而尊貴士与。夫堯伝舜、舜伝禹、周成王任周公旦、而世世称曰、明主。是以明乎士之貴也。
それ孤・寡なる者は、人の賤しき下位に困ずるなり。しかるに侯王以て自ら謂う、あに人に下りて士を尊貴するに非ざるか。それ、堯は舜に伝え、舜は禹に伝え、周成王は周公旦に任じ、世世に称して「明主」なりと曰えり。これを以て、士の貴きを明らめんとなり。
ああ、「みなしご」とか「やもお」とかは、人間の中でも、賤しい下の方で苦しんでいる者たちでございます。王さまや諸侯さまが、自分のことをそう呼ぶのは、他人に卑下して、士を貴び尊敬しているからではないでしょうか。さてさて、堯(舜の前の代の王さま)は舜に伝え、舜は禹に伝え、周の国になってからは二代目の成王(12世紀ごろ)が叔父の周公・姫旦に国政を任せ、いずれも「すぐれた君主」と呼ばれてまいりました。このことからも、士が貴ばれてきたことが証明されましょうぞ。
と顔蜀が一気にまくしたてますと、斉王は・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「戦国策」斉策上より。続きはまた明日。
「老子」の引用部分について、補足しておきます。この語は、「老子」下篇第三十九章の一部分です。全文を引いておきます。少しニュアンスが違うかも。
昔之得一者、天得一以清、地得一以寧、神得一以霊、谷得一以盈、万物得一以生、王侯得一以為天下貞。其致之一也。
いにしえの一を得る者は、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、神は一を得て以て霊(くす)しく、谷は一を得て以て盈ち、万物は一を得て以て生き、王侯は一を得て以て天下の貞と為る。そのこれを致すは一なり。
最後の「一」は「ワン、同一」の意味ですが、そこまでに出てくる七つの「一」は「オンリーワン、一つしかないもの、すなわち「道」」を指すとされます(昔の人がそう言ってるんです)。
これまで、「ただ一つのもの」を得たものは、いくつかあったんじゃ。
天は「ただ一つのもの」を得て、澄み切った。
地は「ただ一つのもの」を得て、安定した。
神がみは「ただ一つのもの」を得て、霊力を得た。
谷は「ただ一つのもの」を得て、(気が)あふれるようになった。
万物は「ただ一つのもの」を得て、生まれ、生きる。
王者や諸侯は「ただ一つのもの」を得て、天下の正しきを守る人となった。
以上の効果は、実は同じことなのである。
天無以清将恐裂、地無以寧将恐発、神無以霊将恐歇、谷無以盈将恐竭、万物無以生将恐滅、王侯無以為貞而貴高、将恐蹶。
天は以て清きこと無ければまさに裂けんことを恐れ、地は以て寧きこと無ければまさに発せんことを恐れ、神は以て霊しきこと無ければまさに歇きんことを恐れ、谷は以て盈ちること無ければまさに竭くることを恐れ、万物は以て生くる無ければまさに滅びんことを恐れ、王侯は貞と為る無くして貴高なれば、まさに蹶(ころ)ばんことを恐る。
天は澄み切っていなければ、裂けてしまうかも知れない。
地は安定していなければ、爆発してしまうかも知れない。
神がみは霊力がなければ、消えてしまうかも知れない。
谷はあふれるものがなければ、尽き果ててしまうかも知れない。
万物は生まれ、生きることがなければ、滅亡してしまうのではないだろうか。
王者と諸侯は、正しきを守ることなく高い地位にいるのであれば、転落してしまうのではないだろうか。
雖貴以賤為本、雖高以下為基。是以侯王称孤寡不穀、是其以賤為邪非乎。
貴きといえども以て賤しきを本と為し、高きといえども以て下れるを基と為す。これを以て侯王は「孤・寡・不穀」を称す、これ、その賤しきを以てするに非ざるか。
貴い身分といっても、もともとは賤しいのだ。高い地位といっても、しもじもが支えているのだ。だから、王さまや諸侯は、自分のことを「孤」(みなしご)、「寡」(やもめの独り者)「不穀」(ダメ人間、ごくつぶし)と呼ぶのである。これは、自分を賤しくしているのではないだろうか。
が入って、さらに
故致数車、無車。不欲碌碌如玉、楽楽如石。
故に車を数うるを致せば、車無し。碌碌(ろくろく)として玉の如く、楽楽(らくらく)として石の如きを欲せず。
これを突き詰めれば、「車」を分解して(ながえだとか車輪だとか車台だとか)一つ一つ(の部品)を数え上げても、その総体としての「車」はどこにも無い、ということじゃ。(全体が合わさって「車」という一つのものになるのだ。)
このように、賢者は、玉がごろごろと転がり、石ががらがらと転がっているのを願わない。
この最後の一文は謎めていますが、普通には「玉のように高貴なもの」と「石のように下賤なもの」が別々にされないようにする、一緒くたにする、と解されています。すなわち、玉も石も①いっしょになって社会を構成する、賢者も和光同塵してみんなと一緒に生きるんじゃ、②人民どもはできるのもできないのも、いっしょにして管理、支配するのがいいんじゃ、さて、貴殿はどちらで読みますか。「老子」をアナーキー(無政府)の書として読むか、愚民分断の支配の書として読むか、二千年ぐらいの争いを如何に解読されますかな。
決して「君主」のために説いているわけではないようですが、なんだか不気味で、人民を支配せんとする「君主」の心には響くのかも。
それにしてもやっぱり歴史の勉強はためになるなあ。こちらの方が興味深いですね。いろんなものが滅びゆくのだ。中には滅ぼしてはならないものもあったろうに。などと、今日も長くなってしまいました。うわあ、またこんな時間か。( ;∀;)
コメントを残す