3月15日 どんどん動きが悪くなってきています

咸驚異之(みな驚きてこれを異とせり)(「巾箱説」)

昨日の記事で、隋~元までは戯曲の名前があるのに何で明がないのか、という疑問を持ったひとがいたかも知れませんが、そんなことはわたしは知りませんが、おそらく明と清の芝居にはそんなに差がない、というのが(実証的には知りませんけど)著者・金埴さんの意識なのだろうと思います。その上で、元雑劇の古典性、規範性を論じていたのが昨日の文章なのでしょう。

おれも江戸時代からの規範性があるんニャ。好き放題はできないんニャ。

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明の天順年間(1457~64)の末ごろのことじゃが、

曹州東嶽神廟祈賽。

「賽」(さい)は何かを祈るために財宝を捧げることが本来の意味のようですが、一般に「お祭り」、特に近世では、屋台や芝居に係る「縁日」を言っていると思ってください。

有優人扮五竜王、擘生分子為戯。

昨日の十二科では「神仙道化」か「神頭鬼面」というのに当たるでしょうか。何も知らない人民は、こういうのを見て、かっこいいとかサスペンスとか感じた上に、河川や海に関する地理を学んでいたのだと思います。

其一人問云、生分子何在。

一人答云、在張家楼飲酒。

これはアドリブで、この時、

州判之子方宴於張家楼。

これをからかったのだ。

ところが、同じころ、張家楼のあたりはにわか雨が降り出し、州判の子は

為暴雷震死。

与優人語恰合、人咸驚異之。

というように、明代にも盛んに演劇は行われていたのです。

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清・金埴「巾箱説」より。そりゃ、びっくりして不思議に思うでしょう。(陰謀では?)と想像を働かせてしまう人もいるかも知れません。いや、もしかしたら陰謀かも。もう何から何まで陰謀らしい世の中でございますから。「この人」が太るのも陰謀かも知れません。

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