百年無貨(百年貨無し)(「後漢書」)
昨日の「藿食者」のお話を読んでいただけましたか。今日はそれを読んでいただいた人しか読んではいけません。

昨日の記事読んでないひとはこの柄杓で「ぼかん」ですこと。メディアも物の言い方からお変えになられるとようございますわよ。
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後漢の劉陶は、貨幣の改鋳が立案されたとき、上書して言った、
藿食之人、謬延逮及。
藿食の人、謬りて逮及を延く。
マメしか食えないしもじもも、誤って言ってしまうことがございます。
蓋以為当今之憂、不在於貨、在乎民飢。夫生養之道、先食後貨。
けだし、当今の憂いを為すゆえんは、貨に在らず、民の飢に在り。それ、生養の道は食を先にして貨を後にす。
なんとなれば、現代の心配事の根っこには、貨幣の問題ではなく、わたしども人民が飢えるか否かにあります。ああ、そして生き者の生きる方法は、食べ物のことが最優先、貨幣のことは後回しでよいのでございます。
由是言之、食者乃有国之所宝、生民之至貴也。竊見比年已来、良苗尽於蝗螟之口、杼柚空於公私之求、所急朝夕之餐、所患靡塩之事、豈謂銭貨之厚薄。
是に由りてこれを言うに、食なるものはすなわち国の宝とするところ、生民の至って貴しとするものなり。ひそかに比年已来を見るに、良苗は蝗螟の口に尽き、杼柚(ちょじく)は公私の求めに空しく、急ぐところは朝夕の餐、患うるところは靡塩の事、あに銭貨の厚薄に有らんや。
この観点から見てみますところ、食べ物は国が宝とし、生活する民がたいへん大切にするものです。ただ人に隠れて最近以来の世の中の動きを見るに、収穫の上がりそうな苗はイナゴやコメつき虫の食われてしまい、杼(横糸を折る「おさ」)、柚(経糸を通しす「いとまき」)によって織った織物は、税金と借金捕りによって空っぽになってしまいました。今、一般人民に必要なのは朝晩の飯です。心配しているのは(おかずの)塩があるかないかという問題でありまして、貨幣が分厚いか薄いかということではございません。
「貨幣の厚い薄い」は現代の管理通貨制度のもとでは意味をなさないので、今後は「通貨の高低」と訳しておきます。
使百姓渇無所飲、飢無所食。雖皇羲之純徳、唐虞之文明、猶不能以保蕭牆之内也。
百姓をして渇きては飲むところ無く、飢えても食らうところ無からしむ。皇・羲の純徳、唐・虞の文明といえども、なお蕭牆の内を保つ能わざるなり。
人民をして、のどが渇いたら水を飲む、腹が減ったらメシを食う、この一番単純なことをやって、自分の家の垣根の内側だけを安全に保つことさえできなくならしめているのだ。
蓋民可百年無貨、不可一朝有飢、故食為至急也。
けだし民は百年の貨無かるべきも、一朝の飢有るべからず、故に食は至りて急ななり。
つまり、人民には百年通用する貨幣・株式なんていうものは無くても大丈夫だが、ある日の朝にメシが無いということは不可能なのです。そこで、食べ物のことが如何に大切なものであるかが理解できるでしょう。
人民には百年ももつ高価な貨幣や宝玉などは要りません。食べ物が要るんです。
此猶養魚沸鼎之中、棲鳥烈火之上。水木本魚鳥之所生也。用之不時、必至焦爛。
これなお、魚を沸鼎の中で養い、鳥を烈火の上に住まわせるの類なり。水火はもとより魚鳥の生ずるところ、これを用うるに時ならざれば、必ず焦爛に至るなり。
これは、魚を飼うのに沸騰したナベで飼ったり、鳥を激しい炎の上に止まらせたりするようなものです。水も火も生活には欠くことができませんが、しかるべき時と場所に用いるのでなかれば、必ず燃え墜ちて、こげただれてしまうことでしょう。
為政者の方におかれては、
瞰三光之文耀、視山河之分流、天下之心、国家大事、燦然皆見、無有遺惑者矣。
三光の文耀を瞰(み)、山河の分流を視れば、天下の心、国家の大事、燦然として皆見(あら)われ、遺惑有る無きものなり。
日月星の三つの光・天文を見上げ、山・河の分岐と龍脈の流れを観察すれば、天下の心、国家の大事、きらきらと輝いてすべて出現し、残念に思う気持ちなどどこにも残るおそれはなくなるでしょう。
・・・なんだそうです。
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「後漢書」巻五十七「劉陶等列伝」より。飯食えないと怒りますよ。人民もイヌネコも。そうなると神仏も怒るかも。
後漢の劉陶は最後に言う、
臣東野狂闇、不達大義、縁広及之時、対過所問、知必以身脂鼎鑊、為天下笑。
臣は東野の狂闇、大義に達せず、縁広く及ぶの時、問うところを対過したれば、必ず身脂を以て鼎鑊せられ、天下の笑いと為らんことを知る。
やつがれは東の平野に住む狂って頭の悪い人民でございます。国家の大正義には通暁しておらず、広くご意見をお求めいただいたので、ご質問いただいたところより出すぎたことを申し上げてしまったかと思います。自らの体の脂肪を以てカナエやナベで煮られ、天下の笑い者となることを覚悟しております。
・・・結局、貨幣改鋳のことはなされなくなった。株式より今日の食い物が大切だと気づいてもらえたんでしょう。
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