令和8年2~3月調査報告(福知山、養父)

2月28日(土)・・・福知山に行きました。

〇福知山城 ・・・ おもしろい天守閣ですよね。昭和61年の復元ですが、かなり現物どおりに作っているようです(内部はコンクリ)。ちょうどわたしが社会人になったころに建てられて、いつかは来てみたいと思っていたが、自分の足で登れる間に来れましたんじゃ。

東側から見上げる。これは裏側なんだそうです。

天守閣から北側を見る。矢印のあたりが大江山。いつかあそこまで行ってみたいですね。この世の果てのように遠い。

小天守側から見てみます。この小天守がきちんと引っ付いているわけではないからすごく複雑に見えます。この形は17世紀半ばかららしいです。

本丸にある銅門。もとは市役所近くの二の丸にあったそうですが、昭和時代に天守が復元される前は、上の小天守のところに移築されていたそうです。そこで福知山音頭を踊っている写真が天守の中にありました。ああ、昭和は遠くなりにけり。

心霊写真ではありません。福知山城名物「転用石」です。明智光秀が城下の寺をぶっつぶして石垣の中に宝篋印塔を差し込んでしまったものという。天守の中は朽木家文書(こちらが分家になります)もあるが、基本的には「光秀さま」で占められている。

市役所方面(旧二の丸)から見る。こちら側が表です。確かに威厳があるようにも見えますが、如何に。

〇福知山城三の丸(伯耆丸)・・・重臣の館があり、本丸とは橋で行き来できたという。

〇丹波生活衣館

二の丸あたりにある小さな博物館です。

〇太田清一記念館・・・文化勲章受章者だ。

〇ふくれる(鉄道館)

〇庵我神社 ・・・式内小社、「あんが」と読むようです。「続日本紀」に、奈良時代に盗賊が入った、という記録があるので、創立はそれ以前ということです。

南北朝期の扁額があるそうですが、左手の方の宝物殿に入っているようでした。

3月1日(日)・・・兵庫県に入り、養父市内で勉強させていただく。

〇青谿書院 ・・・ 幕末・明治初の陽明学者・池田草庵の開いた学校です。今工事中なんですが、係の人にお願いして入れてもらいました。池田草庵は但馬聖人と言われ、生野事件にも参加せず、幕末政治から離れて研究と教育に専心した(農民身分なので政治をしなくてよかった、ということらしい)。京都の春日潜山、多度津の林良齋、廣島の吉村秋陽らとの友誼でも名高い。伊予の近藤篤山や阿波、大阪なども含めた「瀬戸内儒学グループ」の一環であったろうと教えてもらいました。
40年近く前に知ったが、当時但馬といえば陸の彼方、さすがに一生来ること無いのでは、と思ってましたが、なんとか来られました。

3月中旬ぐらいまで修復中ということでブルーシートがかかっています。

講義室。もとはふすまがあって、左側の部屋が草庵先生の居間。家族の住居が左手にあり、二階(もとは養蚕用)が学生の寮となっていたそうです。

少し離れたところにある資料館。箱の中にいろいろ入っているみたいです。

〇新宮山万福寺 ・・・ 草庵が若いころ修行して、儒学の勉強がしたくて逃げ出したお寺です。山の中にあるでかい寺でした。真言宗の修行寺で、ここから但馬・丹波のお寺の住職を送るところであったらしい。ご住職にいろいろ教えてもらう。

幕末期に出石藩の支援で作られた迫力ある庫裡(本堂の役割も果たす)。本堂はもっと山の上の方にあったそうです(いまは「奥の院」とされています)。

山中の本堂付近にあった山門(焼失)の仁王様の足だそうです。でかい。

〇やぶ市民交流広場 ・・・ 引き札展、ピアノ演奏会などをしておりました。

もっとゆっくり古墳や中世城郭や資料館や式内社をめぐってみたいものですね。関東とは特に式内社の密度が違うので「ありがたみ」がちょっと薄いですが。

〇〇人に捕獲されてしまったかもと帰京して戸田に見に行ってきました。〇〇人のせいでもう知り合いのネコはこいつ(頭のでかいキティねこ)だけになってしまった。友だち(のネコ)を捕獲されても何もしない、できない自分が情けない。それにしてもこいつ頭でかいな。来週もいてくれるでしょうか。

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