可以自箴(以て自箴とすべし)(「楡巣雑識」)
反省しなければならないことばかいである。これでは不忠不孝である。

忠孝? うるせー、そんなの宇宙で通用しねーぜ。
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今は乾隆年間が終わって嘉慶年間に入った、清の半ばぐらいですが、
人多事後論人、局外論人。
人多く事後に人を論じ、局外に人を論ず。
みなさんは、よく事が終わってから、それに関わった人のことを論(あげつら)う。あるいはその事件の外から、それに関わった人のことを論っている。
事後論人、毎将知人説得極愚、局外論人、毎将難事説得極易。
事後に人を論ずるは、つねに知人を将(ひ)いて極めて愚なるを説き得、局外に人を論ずるは、つねに難事を将いて極めて易なるを説き得ん。
事が終わってから関わった人を論ずるなら、つねに知恵ある人を極めて愚か者だったと評することができ、事件の外から関わった人を論ずるなら、つねに困難な事案を極めて簡単なことだと評することができるわけだ。 A
だが、
此二者皆由不忠不孝的心生出。
この二者、みな不忠不孝の心によりて生出す。
この二つの見方は、いずれも不忠不孝的な心から生まれ出てくることなのである。B
実は、これはわたしが考えたのではなく、100年ぐらい前の魏冰叔の文集の最初に出て来るコトバでした。
記之可以自箴。
これを記して、以て自箴とすべし。
これをここに書いて、自分自身への戒めとしておきたい。
「箴」(しん)は針灸で使う「はり」です。もとは竹製だったんでしょう。「はり」で体をぷちゅ、と刺して治すように、ひとの心を治す、ぷちゅ、と戒めるためのコトバ、の意味を持ちます。
こちらは現代社会や行政をぷちゅ、と刺す戒めの論文です。読んでみましょう。
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清・趙慎畛「楡巣雑識」上より。AとBの関係がわかりづらいですが、おそらく事後や局外のような無責任な立場から評論しているやつは、安全な場所で責任も取らずにマウントを取って喜んでいるやつなので、主君や親族との関係という自分で責任を取らなければならないことはできない、しようとしてない、だから不忠不孝、ということではないかと思います。
ちなみに魏禧、字・冰叔、裕齋先生は、清初の人、その文集は「魏叔子文集」というのですが、その最初の文章「相臣論」(宰相について論じる)を読んでも上の一文が出てこないので困っています。まだ研鑽が足りないのであろう。
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