2月28日 何ものも見なければいいのである

杜其端源(その端源を杜(とざ)す)(「袁氏世範」)

また予定稿です。どこをほっつき歩いているのであろうか。

肝冷斎はどこかほっつき歩いているらしいが、おれは春が来たからもう北の国に帰るだるまー。また今年の冬まで、世界がまだ存在していたら来るだるまー。

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いにしえの聖人がこうおっしゃっている。

不見可欲、使心不乱。

と。(※)

此最省事之要術。蓋人見美食而必咽、見美色而必凝視、見銭財而必起欲得之心。

苟非有定力者、皆不免此。

だから、見ないようにするのがよい。
ただわしの子孫であるお前たちには、がんばって、

惟能杜其端源、見之而不顧、則無妄想、無妄想則無過挙矣。

そこまで行ってほしいところである。無理かなあ。

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宋・袁采「袁氏世範」巻二「処己」より。袁采さんが袁氏の家の教えとして書き記した「おやじの小言」集です。
ところで、※の「聖人のことば」ですが、袁采さんは(おそらく意図的に)誤読しています。本来の形はこうです。

不尚賢、使民不争。不貴難得之貨、使民不為盗。不見可欲、使心不乱。

ありがたいことです。

是以聖人之治、虚其心実其腹、弱其志強其骨、常使民無知無欲、使夫知者不敢為也。

為無為則無不治。

という、「老子」第三章、「愚民策」を唱えた有名な一章の一文を切り取って、「欲しがるものを見せない」を「欲しくなるものを見ない」と能動的に読み替えているんです。うまく切り取ったものです。「欲しがりません、見るまでは」ですね。
ちなみに、みなさん、自分がそういうふうにされてる、とは思ってませんよね。うっしっし。そういうふうにされないように気をつけてくださいね。うっしっし。

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