2月26日 今日も居眠り時間が長かった

黄衣童子(黄衣の童子)(「続斉諧記」)

居眠りして「わ、落ちる」と思って起きました。絶対「わ」と寝言言ってたと思います。

夢は見るもんじゃない。つかみとるものだぜ・・・みたいな強い心は無い。若いころから。

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どうせ夢を見るならいい夢みたいものである。

漢の楊宝は、

年九歳時、至華陰山北、見一黄雀為鴟梟所搏、墜于樹下、為螻蟻所困。

「やられてまちゅね、うっしっし」

宝、取之以帰、置巾箱中。

「巾箱」は「巾」(きん。ハンカチ)を入れておく箱。あんまり大きくない。ふつうきれいな布が張られています。いかにも子どもが宝物を入れておくようなものです。

唯食黄花、百余日毛羽成、乃飛去。

其夜有黄衣童子向宝再拝曰、我西王母使者。

君仁愛救拯、実感成済。

感謝の意を表しています。子どもはもっと素直な言い方をするといいですね。

童子は改まると、

以白環四枚与宝、令君子孫潔白、位登三事、当如此環矣。

「そうでちゅか。それはそれは」

よかったでちゅねー。以上、おしまい。

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南朝梁・呉均「続斉諧記」より。「夢だった」とも書いてないのですが、いかにも子どもらしい夢であり、またいかにも六朝志怪らしい、不思議な余韻の残るお伽話でございます。

楊宝はその後、欧陽氏の「尚書」を学び、前漢末の哀帝・平帝の時代(前6~後5)、

隠居教授。

その後、王莽の居摂二年(7)、中央省庁から召されたが、上京の途中、

遂遁逃、不知所処。

後漢が成立(25)すると出現して郷里に戻った。やがて、

公車特徴、老病不到、卒於家。

・・・と「後漢書」(巻五十四「楊震列伝」)に書いてあるのですが、その彼の子が「天知る、地知る・・・」で名高い楊震、そのさらに子どもの秉、もひとつ子どもの賜、さらに子ども(玄孫)の彪も三公(大臣)に至り、さらにその子の楊脩は三国・魏の大尉となった。一個足らない・・・? もともと夢だからゼロか零だったのか・・・。

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