2月18日 また自ら知っているつもりでいるが

亦自知之(また自らこれを知る)(「玄品録」)

なかなか気づかなくて、困ることもあります。やはり誰かに言ってもらわないと。

春になってきたのでカッパもそろそろ出現するでカッパ! みんな、しりこだま育ててるか?見せてみろでカッパ!

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北宋の名官僚の一人、張詠は、少年時代、傅霖というひとに学問の手ほどきを受けたことがある。傅霖は官僚になることにはあまり興味を持たず、いつも道教の経典を読んでいる静かなひとで、張詠はその人柄に深い尊敬の思いを抱いていた。張詠はやがて科挙試験に合格し、

既貴、求之三十年、不可得。晩年守宛丘。

ある日、

有被褐跨驢、叩戟門、呼曰、語尚書、青州傅霖来。

閽吏走白其言。

張詠は言った、

傅先生天下名士、爾何人敢斥名氏乎。

「斥」(せき)はふつうは「しりぞける」「おしのける」です。「排斥」の「斥」ですね。しかし、「指斥」のように「指し示す」という意味があるので、そちらだと解してみました。

と言いながら門を開いてみると、若い時のままの傅霖先生が立っていた。先生の方が年下になっていたんです。上司が年下の場合とどちらがやりにくいかな

別子一世、尚爾童心。是豈知世間有我哉。

張詠も訊いた、

何昔隠、今出耶。

先生は言った、

子将去矣。来報子耳。

張詠は答えた、

詠亦自知之。

先生は言った、

知復何言。

遂別去、不告所往。踰月張詠死。

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元・張雨「玄品録」巻五より。「宋史」巻二九三「張詠伝」に出るお話とのこと。「そのうち死ぬぞ」は絶対的に正しいですからね。死んだと見せかけて仙人になってる人もいるかも知れないんですが。

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