其鎮遂滅(その鎮、遂に滅ぶ)(「墨余録」)
亡国みたいなやつです。まぼろしであったか、というほどに、あっという間に滅ぶよー。

曲がった世の中を正すには暴力(ゲバルト)が必要な時代もあったのでぶー。これからはもう無い・・・はずでぶ。原則として総合的には。
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わしは清の時代の人で、浙江・対山に棲んでいます。みなさんの現代でいうと上海市の中になりますね。
邑東昔有奚行鎮、市肆繁盛。奚氏聚族而居、称素封焉。
邑の東、昔、奚行鎮有りて、市肆繁盛す。奚氏聚族して居り、素封と称せり。
わたしの住む町の東には、むかし、奚行鎮という町があって、市場や店がなかなか繁盛していた。ここは「奚」という一族が集まって住んでおり、勢力があるので「あの家は素封だ」と言われていた。
「鎮」は、定期市の市場を中心にして出来た小規模な町のことです。我が国だと「在郷町」というのがこれに近いでしょう。「素封」(そほう)は、「史記」巻百二十九「貨殖列伝」に云う、
今有無秩禄之奉、爵邑之入、而楽与之比者、命曰素封。
今、秩禄の奉、爵邑の入無く、而してこれと楽しみを比する者有り、命じて「素封」と曰えり。
現代(前漢の時代です)、国家からの給与や爵位や領地からの税金をもらわずに、この人たちと匹敵するような楽な生活をしている人がいる。この人たちを「素封(家)」というのである。
「封建制で領地をもらった諸侯でもない(「素」=白い、無い)のに、封建された諸侯並みに収入や勢力・名望のある人」という意味で使われます。
明の正徳年間(1506~21)の初め頃のことだが、
有奚三錫者、擅作威福、喜怒自恣、郷里側目無敢忤。
奚三錫(けい・さんしゃく)なる者有りて、擅ままに威福を作し、喜怒自恣して、郷里側目するも敢えて忤(さか)らう無し。
この村に、奚三錫というやつがおって(たいへんな勢力を持ち)、村内で威張ったり恵んだりをしたい放題、喜んだり怒ったり気ままにして、村の人たちは(批判的に)横目で見ていたが、あえて逆らおうとはしなかった。
あるとき、
佔曹姓隣田、結訟後、奚暮夜入金賂官。逮曹転急、曹懼而遁、株及親党。
曹姓の隣田を佔(うかが)い、結訟の後、奚、暮夜に金を入れて官に賂(まいない)す。曹を逮(とら)えんとして転(うた)た急なれば、曹懼れて遁るるに、親党に株及せり。
「株」(しゅ)というのは、当時の法曹用語とでもいえばいいのでしょうか、関係者を「いもづる式に引っ張る」という意味なんだそうです。
曹家の田が隣にあったのを手に入れようとして裁判を起こし、その弁論が終わったところで、宵闇に隠れて役人に賄賂として金を贈った。すると、突然、曹の行為は犯罪だといって逮捕することになったので、曹は恐れて村から逃げ出したのだが、そうすると芋づる式に曹の親類や仲間を捕まえだした。
曹もただの善人ではない。町のひとびとに金品を贈り奚への反感を焚きつけて、自らの仲間を増やしていた。
鎮人大不平、陰為連絡、縦火焚奚居。
鎮人大いに平らがず、陰に連絡を為し、火をほしいままにして奚の居を焚けり。
町の人たちは不公平な措置に大いに怒り、秘密に連絡を取って、ついに奚の家に火をつけて焼いてしまったのである。
奚復鳴於上官、当時率兵捕曹党、村人鳴鼓聚衆以拒、至傷武弁。
奚、また上官に鳴らし、当時兵を率いて曹党を捕らんとするに、村人鳴鼓して衆を聚めて以て拒み、武弁を傷つくるに至れり。
奚は今度もお役所に訴え出たので、ただちに軍隊が出動して曹の一派(と思われる人たち)を捕縛しにきた。村人たちは太鼓を叩いて集合して逮捕のために官憲が村に入るのを拒否したが、この時、武官を負傷させてしまった。
事聞於朝、枉死者百人、而其鎮亦因之遂滅。
事、朝に聞こえ、枉死する者百人にして、その鎮またこれに因りて遂に滅べり。
問題はとうとう中央にまで持ちあがり、大きな逮捕劇となって、反乱の疑いから百人ぐらいが死刑になってしまった。(奚氏も取り調べを受けて)その町自体がこのために滅んでしまった。
今、高行東有蔡家宅、即其址也。
今、高行の東に蔡家の宅あり、即ちその址なり。
今(清の終り頃)、高の会社の東の方に蔡家の広壮な邸宅があるが、あの一帯が奚行鎮の(市場の)あったあたりである。
まぼろしのように消えてしまったのだ。
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清・毛祥麟「墨余録」巻十二より。むむむ。この事件から、どんな教訓を得られますでしょうか。仲よきことは美しきかな。なんて・・・ね。
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