2月15日 春になった、幻でなければいいのだが

其鎮遂滅(その鎮、遂に滅ぶ)(「墨余録」)

亡国みたいなやつです。まぼろしであったか、というほどに、あっという間に滅ぶよー。

曲がった世の中を正すには暴力(ゲバルト)が必要な時代もあったのでぶー。これからはもう無い・・・はずでぶ。原則として総合的には。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わしは清の時代の人で、浙江・対山に棲んでいます。みなさんの現代でいうと上海市の中になりますね。

邑東昔有奚行鎮、市肆繁盛。奚氏聚族而居、称素封焉。

「鎮」は、定期市の市場を中心にして出来た小規模な町のことです。我が国だと「在郷町」というのがこれに近いでしょう。「素封」(そほう)は、「史記」巻百二十九「貨殖列伝」に云う、

今有無秩禄之奉、爵邑之入、而楽与之比者、命曰素封。

「封建制で領地をもらった諸侯でもない(「素」=白い、無い)のに、封建された諸侯並みに収入や勢力・名望のある人」という意味で使われます。

明の正徳年間(1506~21)の初め頃のことだが、

有奚三錫者、擅作威福、喜怒自恣、郷里側目無敢忤。

あるとき、

佔曹姓隣田、結訟後、奚暮夜入金賂官。逮曹転急、曹懼而遁、株及親党。

「株」(しゅ)というのは、当時の法曹用語とでもいえばいいのでしょうか、関係者を「いもづる式に引っ張る」という意味なんだそうです。

曹もただの善人ではない。町のひとびとに金品を贈り奚への反感を焚きつけて、自らの仲間を増やしていた。

鎮人大不平、陰為連絡、縦火焚奚居。

奚復鳴於上官、当時率兵捕曹党、村人鳴鼓聚衆以拒、至傷武弁。

事聞於朝、枉死者百人、而其鎮亦因之遂滅。

今、高行東有蔡家宅、即其址也。

まぼろしのように消えてしまったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

清・毛祥麟「墨余録」巻十二より。むむむ。この事件から、どんな教訓を得られますでしょうか。仲よきことは美しきかな。なんて・・・ね。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す