食鳫美乎(鳫を食らうに美なるか)(「後漢書」)
体重増で心身ともに不健康に。歩くの苦しい。イヤなやつ来たら体調悪いと言って寝てるふりできます。

13日の金曜日ですね。
←は、行動を起こした藁と炭は滅び、マメだけが生き延びた、という教訓の物語かも知れません。
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昨日の後漢の王符のことなんですが、「潜夫」を称して郷里の安定に引っ込んでしまいました。
その後、
度遼将軍皇甫規解官帰安定。郷人有以貨得鳫門大守者、亦去職還家、書刺謁規。
度遼将軍・皇甫規(こうほ・き)、官を解かれて安定に帰る。郷人の貨を以て鳫門大守を得たる者、また職を去りて家に還れる有りて、刺を書して規に謁す。
(東北方面を担当する)度遼将軍であった皇甫規はもともと学問を以て名の知れたひとであったが、クビになって郷里の安定に帰ってきた。同郷の人に、財産を寄付して山西・鳫門(がんもん)の知事になっていた人がいて、この人も任期を終えて実家に帰ってきていた。彼が板に名を書いた「刺」(し)を差し出して、皇甫規に面会を申し込んできた。
「えー、どうしようかな」
規臥不迎、既入而問、卿前在郡食鳫美乎。
規、臥して迎えず、既に入りて問う、「卿、前(さき)に郡に在りて鳫を食らうに美なるか」と。
皇甫規はベッドに横になったままで出迎えもしなかったが、客はもう入ってきた。そこで、皇甫規は訊いた。
「おまえさん、この間まで鳫門におられたそうじゃが、任地にいたときには鳫(かり)は食いましたか。美味かったですか」
どうでもいいことを訊いた。別に鳫が食べたいわけではありません。
「へーあーそうですかー」
といい加減な会話をしているうちに、
有頃、又白王符在門。
有頃、また白す、王符門に在り、と。
しばらくすると、また取次の者が入ってきて、言った。「無位無官の王符さまが門のところに来ておられますが・・・」
「なんじゃと!」
乃驚遽而起、衣不及帯、屐履出迎、援符手而還。
すなわち驚き遽かにして起き、衣は帯に及ばず、屐履して出迎し、符の手を援きて還る。
すると、皇甫規は、驚いて急に飛び起き、帯を結ぶのも間に合わずに、下駄を履いて出迎え、王符の手を引っ張って部屋に戻ってきた。
そして、
与同坐、極歓。
ともに同坐して、歓を極む。
一緒にベッドに坐り、すぐに酒食を持ってこさせて、楽しく語り合った。
元知事は追い出されて帰ってしまったのです。
時人為之語曰、徒見二千石、不如一縫掖。
時の人、これがために語りて曰く、「いたずらに二千石に見(あ)うは、一縫掖(ほうえき)に如かず」と。
「二千石」とは当時の知事の年収で、太守など貴族とは言い難いが権限の大きな第一線の高級官僚の称号にもなります。「縫掖」(「逢掖」も同じ)とは「逢掖の衣を着ている人」のことです。「礼記」儒行篇に、
孔子曰、丘少居魯、衣逢掖之衣。
孔子曰く、丘、少くして魯に居るとき、逢掖の衣を衣(き)たり。
孔子がおっしゃった、「丘(孔子の名前。自称)は若くて魯の首都で学問していたころ、「逢掖」(ほうえき)の衣を着ていたなあ」と。
とあり、ここから儒者の服のことを「逢掖の衣」といいます。「逢掖」とはどんな服だ?というに、後漢・鄭玄の注に曰く、
逢猶大也。大掖之衣、大袂単衣也。
逢は大のごときなり。大掖の衣は、大袂の単衣なり。
「逢」というのは「大きい」というのと同じである。「大きな掖」というのは、(「掖」(えき)は「腋」(わき)と同じだから)(腋の下、つまり)「たもとの大きな上っ張り」という意味だ。
なるほど。
同時代の人たちは「ムダに知事なんかと会うよりは、学者さんと会う方がいい」と言いはやした。
言書生道義之為貴也。符竟不仕、終於家。
書生の道義これ貴と為すを言う。符はついに仕えず、家に終われり。
読書人たち(皇甫規と王符)が、道義を重んじていたことを言ったのである。符はとうとう仕官することなく、実家で死んだ。
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「後漢書」巻四十九「王符等列伝」より。ネット社会では、実家にずっといる男性は「こどおじ」(こどもおじさん)のレッテルが貼られてマウントを取られます。後漢の知識人は、「党人」のレッテルを貼られて「党錮の禁」を食らいます。わしも「カバ」のレッテルを貼られて若者にカバ退治されるかも。
今日も全勝さんのHPは更新されていないように見えます。「お問い合わせ」をしてみたら、ちゃんと更新は出来ている、見る方のPCのせいだ、という趣旨のお返事が来ましたが、ほんとかな。
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