以醜化好(醜を以て好きを化す)(「潜夫論」)
体重増で身動きも鈍くなってきました。わしはもういいので、みんなでシアワセにやってくだされ。もう磨き砂にもなれないと思います。

「すもうデブ」ではなくて、「すもうでぶー」と言っている状況です。おすもうさんは太るほど強くなるのですごい。われは太るほど弱っていくなり。
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後漢の時代に、みんなでシアワセになる方法を考えていた人もいるんです。彼によれば、
夫明君之詔也若声、忠臣之和也如響。
それ、明君の詔や声のごとく、忠臣の和するや響きのごとし。
ああ、よき君主の命令は呼びかける声であり、まことを捧げる臣下がこれに応えるのは、まるでこだまのようであった。
いいですね。古代には、そんなすばらしい時代があったに違いない。
その時代には、
長短大小、清濁疾徐、必相応也。
長短・大小、清濁・疾徐、必ず相応ず。
長いもの・短いもの、大きいもの・小さいもの、清いもの・濁ったもの、素早いもの・のんびりしたもの、どんな命令にも応える人がいたのだ。
しかも、さらに間違いの無いように、
攻玉以石、洗金以塩、濯錦以魚、浣布以灰。
玉を攻(みが)くに石を以てし、金を洗うに塩を以てし、錦を濯うに魚を以てし、布を浣うに灰を以てす。
玉を石で磨いた。塩水にさらして黄金の純度を上げた。魚をその上で泳がして錦の光沢を益した。灰をまぶして洗うことで布をより白くした。
一般化すれば、
夫物固有以賤理貴、以醜化好者矣。
それ、物には、もとより賤しきを以て貴きを理(おさ)め、醜くきを以て好きを化するもの有り。
なんと、物質には、本来、安価なものによって貴重なものをより美しくしたり、嫌われがちなものを使ってよいものを更によくすることができる、という法則があるのだ。
何ものにも居場所と意義があるのである。
智者棄短取長、以致其功。今使貢士必覈以実、其有小疵、勿彊衣飾、出処黙語、各因其方、則蕭、曹、周、韓之倫、何足不致。
智者は短きを棄てて長きを取り、以てその功を致す。今、貢士をして必ず覈(しら)ぶるに実を以てし、その小疵有るも、彊して衣飾せしむるなく、出処黙語をおのおのその方に因らしむれば、すなわち、蕭、曹、周、韓の倫、何ぞ致さざるに足らん。
賢者は人の短所を気にせずに長所を見て採用し、そのような人事によって大きな功績を挙げます。
今、各地方から士を推薦させるに当たっては、必ずその人の実質をよく調べ、もし少々の欠点があっても、強いてそれを誤魔化したりさせず、出勤するも家から出ないのも、黙っているのも発言するのも、その人のやり方に任せてやることが大切です。もしそうすれば、漢の高祖の丞相であった蕭何さま、その後を継いだ名宰相・曹真さま、挙兵以来軍功を挙げ、陳平とともに呂氏の専横を制した周勃さま、国士無双とまで言われた名将・韓信さま、こういった超Aクラスの人材を得ることが、できないことはございません。
だそうです。
孔子曰、未之思也、夫何遠之有。
孔子曰く、「いまだこれを思わざるなり、それ何ぞ遠きことこれ有らん」と。
孔子さまもおっしゃっているではありませんか。「実はまだ真剣に考えていないのだ。(真剣に考えたなら、どんなに遠い目標であっても)さて、どうして遠いことがあろうか」と。
真剣にやれば人材はどんどん発掘できますぞ!
なお、これは「論語」子罕篇のコトバです。全文を味わってみましょう。
唐棣之華、偏其反而。豈不爾思、室是遠而。
唐棣(とうたい)の華は、偏としてそれ反す。あになんじを思わざらんや、室これ遠きなり。
今は伝わらない古代の詩の中の一節に、こんなのがある。
紅いすももの花は、ひらりと揺れてまた戻る。
(おれも浮気に見えるかも知れぬが)どうしてお前を一筋に思っていないことがあろうか。
ただ、お前の家が遠いのでなあ(なかなか会いに行けぬのだ)。
この詩について、
子曰、未之思也、夫何遠之有。
子曰く、いまだこれ思わざるなり、それ、何ぞ遠きことこれ有らん。
先生がおっしゃった、「こいつは実はまだ真剣に考えていないのだ。(真剣に考えたなら、どんなに遠い家(目標)であっても)さて、どうして遠いことがあろうか。(おまえたちも、こんな浮気男にならずに、真剣に道に到達しようと思わねばならん)」と。
こんなのを聴くと、「からごころ」を嫌った本居宣長が「くじ(孔子)はよきひと」と孔子だけは「推し」だったこともわかろうというものです。なお、朱子は詩の中の「爾」、どう考えても恋愛の相手の女性を指しているのはわかるのに、「これが何であるかはよくわからない」とすっとぼけているのが、またこの人らしくて笑えます。(もちろんわたしは後世なので笑えるので、目の前だと「まったくですなあ」と頷いているだけだと思いますが。)
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後漢・王符「潜夫論」実貢篇より。人の欠点より長所を見て育てろ、と、大してすごいことを言っているわけではないと思うのですが、文章巧いですね。ああ大したことないなあ、みんな出来ているからなあ。古い住宅を活用することもできていますからね。(全勝さんの更新がまた止まった?)
王符は、若くして学を好み、志操(間違ったことをしない志)があったそうで、知り合いはみんな出世したのに、
独耿介不同於俗、以此遂不得升進、志意薀憤。
独り耿介して俗に同ぜず、これを以てついに升進を得ずして、志意薀憤せり。
「耿」(こう)は「ぴかぴかと光る」とか「かちかちと堅い」の意。「耿介」で固く志を守る、という意味になります。
彼だけはひとり志を固く守って世俗に同化せず、そのせいでとうとう立身出世できなかったので、心に憤懣を貯めていた。
その憤懣を噴出して、当時の政治を批判するために書いたのが「潜夫論」です。どうせ出世もしない、名声も要らない、ということで「潜夫」(ひそんでいる男)と名乗ったという(「後漢書」巻四十九「王符等列伝」)。
本朝・豊後日出の帆足万里がそのひそみに倣って「東潜夫論」(チャイナより東のひそんでいる男の論文)を書いています。「〇潜夫」と名乗ったら匿名で攻撃しても怒られなさそうで便利かも。よし、〇〇や✕✕を批判するときは「二世肝冷潜夫」と名乗るか。
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