乾鼠燕石(乾鼠と燕石)②(「後漢書」)
肝冷斎は若いころ「燕石道人」と名乗っていたこともあるのです。今は名乗ってませんけど。「燕石」とは何であろうか。

大切にしているものをけなされたら、キレるでぶー!
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春秋時代のことですが、
宋之愚人得燕石梧台之東、帰而蔵之、以為大宝。
宋の愚人、燕石を梧台の東に得て、帰りてこれを蔵し、以て大宝と為す。
宋の愚かなやつが、淮水の遥か彼方、梧台の東の方で「燕石」という石を手に入れた。宋に帰ってこれを大切にしまいこみ、たいへんな宝物を得た、と思った。
周客聞而観之、主人父斎七日、端冕之衣、釁之以特牲、革匱十重、緹巾十襲。
周客聞きてこれを観るに、主人父(しゅじんほ)斎(ものいみ)すること七日、端冕の衣に、これに釁するに特牲を以てし、革の匱十重、緹の巾十襲(かさね)せり。
周から来た旅商人がその宝のことを聞いて拝観したいと願った。すると、主人のおじさんは、ものいみ潔斎を七日間行い、きちんとした帽子の服を着、子牛を犠牲にして血を振りまく儀式を行い、大きな革の箱を開いた。革の箱の中には革の箱、合わせて十重ね。その中から赤い絹の包みが出てきた。赤い絹の包みの中には赤い絹の包み、合わせて十襲(かさ)ね。
やっと中から「燕石」が出てきた。
客見之、俛而掩口盧胡而笑、曰、此燕石也、与瓦甓不殊。
客これを見、俛(ふ)して口を掩いて盧胡(ろこ)として笑い、曰く、「これ燕石なり、瓦甓(がへき)と殊(こと)ならず」と。
「甓」(へき)は「瓦」と同じですが、並べた時には、屋根の上のが「瓦」で道路などに敷く敷瓦が「甓」です。
旅のひとは、それを見て、うつむいて口を覆い、必死でこらえていたのですが、やがてげらげらと笑いだして、言った、「これは「燕石」ですぞ。そこらへんの瓦や敷瓦と何も変わらないものだ」。
そう言われて、
主人父怒曰、商賈之言、竪匠之心。蔵之愈固、守之弥謹。
主人父怒りて曰く、「商賈の言、竪匠の心なり」と。これを蔵することいよいよ固く、これを守ることいよいよ謹しむ。
主人のおじさんは怒って言った、「知識の無い商人のコトバ、青二才の職人のような文化を理解しない気持ちの人だ」と。そして、これをしまいこむこといよいよ固く、これを大切にすることいよいよ謹んだのである。
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これは「闕子」という、これも今は散佚した本に出てくるものです。「後漢書」の注に使われていたのでこの部分だけ遺りました。昨日の「乾鼠」と同じで、周のひとと鄭の商人、今回は宋のひとと周の旅人という組み合わせです。いずれもコントみたいになってたのかも知れません。
それにしても、ああ、なんと悲しいことではありませんか。本当は価値のないものを、価値あると信じて貴び、人の助言も聞かないとは。・・・と思ったけど、知識人とか普通にしていることなので、あまり悲しくない気もしてきました。してきますよね。
燕山之石、似玉而非玉。
燕山の石は、玉に似て玉に非ず。
燕山の石(燕石)は、玉に似ているが、似ているだけで玉ではない。
と申します。肝冷斎が若くして「燕石」を称した理由がお分かりいただけましょう。そして今は名乗っていないのもおわかりいただけましょう。つまり、「玉に似てさえいなかった」ことが明らかになってしまったのである。
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