欲学已暮(学ばんと欲するもすでに暮(おそ)し)(「説苑」)
気がつきましたか。だが、もう遅い!・・・かも。

北方領土の日です。ロシア怪しからん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
春秋の時代のことだそうでございますが、
晋の平公(在位前557~前532)が師曠に問うた。
「師曠」は盲目の宮廷楽師長のことです。もちろん音楽を司る者、いにしえの不思議の知恵を帯びている。
吾年七十、欲学、恐已暮矣。
吾は年七十、学ばんと欲するも、已に暮(おそ)からんことを恐る。
「わしはもう七十歳じゃからなあ。道を学ぼうかと思うのじゃが、もう遅いんではないかなあ」
「ほう」
師曠は答えた。
暮、何不炳燭乎。
暮(おそ)ければ何ぞ燭を炳(とも)さざるや。
「暮(おそ)くなった? それならどうして灯りをともさないのですかな」
「ちょっと待てや」
平公はむっとなされた。
安有為人臣而戯其君乎。
いずくにか人臣たりてその君に戯る有らんや。
「どこの国に臣下のくせに主君のコトバを取り違えたふりをしてからかうやつがいるのだ? 言ってみろ」
「ほほう」
盲臣安敢戯其君乎。臣聞之。
盲臣いずくんぞ敢えてその君に戯れんや。臣これを聞けり。
「目の見えない臣下のわたくしが、どうして無理に殿さまをからかったりしましょうか。・・・わたくしはこのように聞いているのでございます」
と師曠が琴をつま弾いて、歌うように言ったのは―――
少而好学、如日出之陽。壮而好学、如日中之光。老而好学、如炳燭之明。
少にして学を好むは、日出の陽の如し。壮にして学を好むは、日中の光の如し。老にして学を好むは、炳燭の明の如し。
幼いときに学ぼうとするのは、日の出のころの太陽のようだ。どんどん知恵がついてくる。
おとなになって学ぼうとするのは、真昼間の太陽の光のようだ。この世のことをくまなく知る。
年老いてから学ぼうとするのは、ともした灯りの明るさのようだ。
炳燭之明、孰与昧行乎。
炳燭の明、昧行と孰れぞや。
「さて、ともした灯りの明るさがあるのと、何も無く暗闇を行くのと、いずれが容易くございましょう」
「ふむ」
平公曰、善哉。
平公曰く、善いかな。
平公は言った。「なるほど、わかった」と。
平公が実際に勉強したかどうかはわかりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
漢・劉向「説苑」第三「建本篇」より。生涯の人生設計きちんとして、計画どおりやってきていればよかったのですが、殿さまはしてないというのですから、ほんとに困りますよね。もちろんわたしもしてません。みなさんはしている? ほんとかなあ。まあでも春になってきたからどうでもいいや・・・と思っていたのに何故また急に寒くなるのか。怪しからん!
推し活選挙とは何だそれ。怪しからん!
観ネコ記 令和8年2月7日
寒かったが戸田ネコを観察に行く。タイヤネコたちは跡形もありませんでした。奥の2匹がいつものようにいました。

冬ざれの戸田彩湖公園だ。パンツ一枚だと寒いと思います。パンツ一枚で来なくてよかった。

白ミケだ。寒そうですね。

ちょっと食わせて引き払おうとしたら、予想通り人間座布団にされる。しかもこのあと、突然起きて右手をしたたか噛まれました。流血する。どういうことだ。怪しからん。

奥ミケは目が見えなくなってから動きが遅くなったので、噛んだり引っかいたりを避けることができるようになりました。うっしっし。これはコンクリで爪を研いでいるところです。以前は木の幹で研いでいたのですが、そこまで行けなくなったためのようです。

しんだか? しりたたきで気持ちよくなってごろごろしていいるだけです。

駐車場付近のタイヤネコたちは全滅。
次は暖かい日だといいのですが。
コメントを残す