世衰乱時(世の衰え乱るる時)(「後漢書」)
むかしはケーキ(12月)、チョコ(2月)など残って安くなる、ということが貧しき者の楽しみと考えられたものですが、今ではすぐ処分されてなくなってしまうんですよね。ああ、世は衰え、乱れた時代となったものだ。

わしもいつか、いいことがしたいものである・・・と思っているのですが。それにしても恵方巻ってなんであんなに高いんですかね。
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後漢の陳寵は
性周密、常称人臣之義、苦不畏慎。自在枢機、謝遣門人、拒絶知友、唯在公家而已。
性周密にして、常に人臣の義、畏慎せざるに苦しむと称(とな)う。枢機に在りてよりは、門人を謝遣し、知友を拒絶し、ただ公家に在るのみ。
性格は何事にもきちんとし、いつも、人の臣下たるものは畏れ慎まないことがあってはならない、と言っていた。中央省庁の重要な仕事をするようになってからは、弟子や書生を採ることをやめ、知人や友人が訪ねてきても面会せず、ずっと役宅にいて気晴らしに出ることなども無かった。
という厳格な人であった。
道義的な主張をしたため、権力を掌握した外戚勢力から攻撃され、彼を守ろうとする人の配慮で地方官に出されたが、赴任した先々で治績を上げた。
長安南方の廣漢の太守となったとき、
豪右并兼、吏多姦貪、訟日百数。
豪右并兼し、吏は多く姦貪、訟日に百数あり。
所管地域では、富豪たちは小農民から土地をどんどん奪い、官吏たちには邪悪で貪婪なのが多く、ひとびとは争いごとを好んで訴訟が一日に百以上も起こされるような状態であった。
陳寵到、顕用良吏以為腹心、訟者日減、郡中清粛。
陳寵到るに、良吏を顕用して以て腹心と為して、訟者日に減じ、郡中清粛せり。
陳寵は赴任すると、役人たちの中から能力も人格も立派なのを選んで自分の内臓や心臓のように信頼して重用したので、訴訟は日ごとに減り、所管域内は清廉で引き締まった。
ところで、
先是雒県城南、毎陰雨、常有哭声聞於府中、積数十年。
先にこれ雒県城南は、陰雨あるごとに、常に哭声有りて府中に聞こゆること、数十年を積めり。
以前から、郡庁所在地の益州雒県では、じとじとした雨のあるごとに、城壁の南側から泣き声が聞こえ、これが町中でも聞こえるという現象があり、もう数十年にもなるのであった。
---わたしにはなかなか聞こえないのだが。
陳寵聞而疑其故、使吏案行。
陳寵聞きてその故を疑い、吏をして案行せしむ。
陳寵はそのことを聞いて、原因を知りたいと思い、信頼する官吏に調べに行かせた。
吏が復命して報告するに、
世衰乱時、此下多死亡者、而骸骨不得葬。儻在於是。
世衰え乱るるの時、この下に死亡する者多く、而して骸骨を葬るを得ず。ままにここに在り。
「世の中が衰亡し混乱した時、南の城壁の下でたいへん多くの方が亡くなったそうでございます。そして、その遺骨は葬る者も無く、今もそこに埋まっているとか」
---もう何十年も前のこと、それに、お前まで祟りがあるなどと信じているのではあるまいな。
「いまだその遺族も生きております。たたりなどはなくても、死んだ者、生き残った者の思いは遺っておりましょう」
---なるほど。思いは遺っているか。
陳寵愴然矜歎。
陳寵愴然として矜(あわ)れみ歎けり。
陳寵は痛ましく思い、同情してためいきをついた。
即勅県尽収斂葬之。自是哭声遂絶。
即ち県に勅してことごとくこれを収斂して葬らしむ。これより哭声遂に絶す。
すぐに配下の県庁に命じて、城壁の下を掘って遺骨をすべて集め直して、きちんと葬らせた。これ以降、誰も泣き声を聞いたと言わなくなった。
そうです。あわわ、たたりコワいですね。
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「後漢書」巻四十六「郭陳列伝」より。「陳」氏は寵の祖父から始まって、寵の息子の陳忠まで、道義を重んじ、地方官や司法官として評価の高かった家柄です。声高に社会に道義を求めるほど愚かでもありませんが、少しは要りますよね。・・・え? 全然要らん?
ウェル・ビーイング? それはなんですか。井戸存在? また変なコトバ覚えさせられて社内研修とかするのかな。 一方、幸福度は上げていきたいものです。引用してもらえるとちょっと幸福ですね。
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