貧而尚義(貧にして義を尚(たっと)ぶ)(「山居新語」)
おカネに背を向けたひとこそ、正義を尊重するひとなのである。

おカネより充実した人生こそ、幸福なのじゃ。
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元の葉子澄は雪篷居士と号し、浙江・呉のひとである。
貧而尚義之士、与達魯花赤伯顔為厚交。
貧にして義を尚ぶの士、達魯花赤・伯顔と厚交を為す。
「達魯花赤」(ダルガチ)はモンゴル帝国が各地に遣わした徴税・行政官です。「総督」「執政官」と訳されていることが多いかと思いますが、行政をする、人民を監督する、というより、税金を徴収することが本来の任務のようです。
貧乏でかつ道義を重んじる読書人であった。モンゴル帝国の派遣したダルガチのバヤンと深い友情を交わしていた。
至正壬辰(1352)年のこと、江東に反乱が起こり、
時顔在遣中、没于王事。
時に顔遣中に在り、王事に没す。
この時、バヤンは派遣部隊の幕僚中におり、戦争の中で死んでしまった。
其家旧居嘉興崇徳州、訃音至、家人招黄冠岩隠者追荐摂召之。
其家は旧(もと)、嘉興・崇徳州に居り、訃音至るに、家人黄冠・岩隠者を招き追荐(ついせん)してこれを摂召す。
伯顔の家は以前から浙江の嘉興の崇徳州(杭州)に住んでいた。その家に訃報が入ると、遺された家人らは、黄冠(道士のことです)の岩隠者を招いて、葬儀を行うとともに、その霊魂を呼んだ。
「むぎゅーーーーん!」
岩隠者が仕立てた依り代の童子に、突然、何ものかが憑依した。すると童子は、伯顔そっくりにしゃべりはじめた。
「おまえたちは何を悠長にわしの霊魂などを呼び出しておるか。
丹夕杭城受危、爾輩宜速往吾弟処逃生。
旦夕に杭城危を受く、爾輩よろしく速やかに吾が弟の処に往きて、逃生せよ。
今宵・明朝(のような短い将来)にこの杭城には危険が寄せてこよう。お前たちは速やかにわしの弟のところに避難して、命を永らえるがいい・・・」
そこまで言って、童子は「むぎゅーん」と力尽きたように気を失った。
母妻以無弟可依、再叩之。
母妻、弟の依るべき無きを以て、再びこれを叩く。
おふくろとヨメは、「そんなこと言ったって、お前には弟なんかいないじゃないか」「どこへ行けばいいか、ちゃんと教えてよ」と岩道士に再び詰め寄った。
「待て待て。むにょむにょ・・・」
と道士が呪文を唱えると、
「うむむ・・・」
と童子はまたしゃべりはじめる。
即松江葉子澄、乃我存日生死交也。可往依之。
即ち、松江の葉子澄は、我が存日の生死交なり。往きてこれに依るべし。
「ずばり、呉・松江の葉子澄というのが、わしの生きていた時の、生死をともにしようといいあった友だちなのじゃ。往ってこのおとこに頼るといい・・むぎゅーん」
そこで、おふくろと妻子は
即備船東行、葉即為留居給不怠。
即ち船を備えて東行するに、葉即ち留居を為し給すること怠らず。
すぐに舟を用意して東のかた、呉に向かったのだが、呉の町で葉の家を訪ねると、すでにもう家族のための家が用意されており、食べる物・着る物など次々と供与してくれた。
どうしてこんなに手回しがいいのか聞いてみると、
比至前三日、夢伯顔相見。
至前三日のころ、伯顔と相見すると夢みたり。
―――お見えになる三日ほど前、夢の中でバヤンと顔を合わせたのです。
懐かしそうに笑いかけてきただけで、特に何か言われたわけではないのですが、そういえば、かつて
以家属為托。
家属を以て托を為さん。
「何かあったらわしの家族をよろしく頼む」
と言っていたことを思い出しましたので―――とのことであった。
その後、
杭城果陥。
杭城果たして陥る。
杭城は結局陥落した。
もちろんひどい略奪と殺戮が行われたのであるが、バヤンの家族はそれに巻き込まれることはなく済んだ。
このこと、もちろんバヤンの精神が澄み切っていたのでこんな霊的なことが行われたのではあるが、
葉之与人交情不渝、真誠相感之所致也。
葉の人との交情の渝(か)わらざる、真誠に相感の致すところなり。
葉子澄が、人と変わらずいつまでも心を通わせる性格であったから、ほんとうに互いに感じあうことの極致に至ったおかげであろう。
バヤンは字を謙斎といい、唐兀(とうごつ)のひとであった。唐兀とはチベット系のタングート族のことである。
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元・楊瑀「山居新語」より。みんないい人ばかりでよかったよかった。人間、死んでも生きている、ということが証明されるお話でした。宇宙は不思議なことばかりです。
「老子」第四十一章に云う、
大方無隅、大器晩成、大音希声、大象無形。
大方には隅無く、大器は晩成し、大音は声希れにして、大象は形無し。
あまりに大きな空間には、隅っこが無い。
あまりに大きな青銅器は、完成するのに時間がかかる。
あまりに大きな音声は、聞こえる部分がほとんどない。
あまりに大きな図像は、そもそも形が認識できない。
そうなんです。「大器晩成」だけだと人生訓みたいですが、こんだけ並べられるとそんなちっぽけなことを言っているのではなくて、無限の宇宙を知覚できるのか、という問題提起だということがわかっていただけますでしょう。
というようにあまりに大きなものは認識できない―――なので最新の経済学の本には日本の記述がない?のでは。
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