1月29日 美味いもの食ってきました。さあ寝よう

夫負妻戴(夫は負い妻は戴く)(「荘子」)

「さあ寝よう」と言って寝たまま起きてこないと、わたしの方はいいのですが、みなさんが心配するとといけないので、起きてこなかった時の行き先を言っておきます。

きびしくやるでちゅー、とのこと。寝ている間にネズ先生に引かれていくかも。

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超古代のことですが、

舜以天下譲其友石戸之農。

「石戸」は地名らしいのですが、どこのことだかわかりません。どうせ想像上の場所なのでしょう。石戸というのだから、戸が堅い、外との出入りをしない、という意味を含んでいるのだと思います。

石戸之農曰、捲捲乎、后之為人。葆力之士也。

「捲」はここでは「努力する、骨折りする」という意味だそうです。では「葆力(ほうりき)の士」とは何ものぞや。
「葆」(ほう)は「包み隠す」の意。「荘子」斉物論篇に曰く、

注焉而不満、酌焉而不竭、而不知其所由来、此之謂葆光。

というように、何かを見えないように包んでおくこと、をいうそうですから、「葆力」は「努力を人に見せないようにしている」というような意味になります。

―――ほめてくれてるんじゃないの?

と思ってはいけません。これは、

以舜之徳為未至也。

至徳の状態になっていれば、王さまとして世界を平穏に保つ仕事は、何の面倒もなくやれるはずで、これを人に譲ろうとしたりするはずがない。

石戸の百姓は、これ以上めんどうにかかずらわるのがイヤになったらしく、

於是夫負妻戴、携子以入於海、終身不反也。

起きて来なかったときは、わたしもここに行ったと思ってください。それにしても、「夫は負い、妻は戴く」と古代の荷物運搬民俗が何気なしに書かれていて、ためになります。

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「荘子」譲王篇より。独り者かと思ったら、面倒くさがりのくせにちゃんと女房も、さらに子どももいたんです。それでも世を捨てるとは立派ですね。
知り合いの吉田さん(兼好法師くん。かつてともに隠者として隣で暮らしていた・・・ような気がするので、なれなれしく呼んでみました)の「徒然草」第百四十二段に曰く、

余計なお世話でござる・・・という気もちょっとしましたが、閑話休題。 

いつもは「新自由主義はおろか、資本主義も知らぬ中世の愚者なり」と軽んじている吉田ケンコウごときに正論を言われてしまいました。わたしどもしもじもは「へへへ」「そいつはご苦労なこって」とうだうだしていればいいのですが、為政者のみなさまは、マウント取り返さないと現代人の名折れではありませんかね。へへへ。

なお、吉田さんは第六段では

と言ってたりするので(ここでは家門を守るために無理をすることを否定しているらしい)、中世のやつなのに一筋縄ではいかないですね。

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