夫負妻戴(夫は負い妻は戴く)(「荘子」)
「さあ寝よう」と言って寝たまま起きてこないと、わたしの方はいいのですが、みなさんが心配するとといけないので、起きてこなかった時の行き先を言っておきます。

きびしくやるでちゅー、とのこと。寝ている間にネズ先生に引かれていくかも。
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超古代のことですが、
舜以天下譲其友石戸之農。
舜、天下を以てその友・石戸の農に譲らんとす。
「石戸」は地名らしいのですが、どこのことだかわかりません。どうせ想像上の場所なのでしょう。石戸というのだから、戸が堅い、外との出入りをしない、という意味を含んでいるのだと思います。
聖なる王・舜は、その友人である石戸の百姓に、天下を譲ろうとした。
石戸之農曰、捲捲乎、后之為人。葆力之士也。
石戸の農曰く、「捲捲(けんけん)たるか、后(きみ)の人と為りや。葆力の士なり」と。
「捲」はここでは「努力する、骨折りする」という意味だそうです。では「葆力(ほうりき)の士」とは何ものぞや。
「葆」(ほう)は「包み隠す」の意。「荘子」斉物論篇に曰く、
注焉而不満、酌焉而不竭、而不知其所由来、此之謂葆光。
注ぎて満たず、酌みて竭きず、而してその由来するところを知らざる、これを葆光と謂う。
どんどん注いでもいっぱいにならない。どんどん汲みあげても無くならない。そして、それがどこからやってきたかわからない。これが「隠された光」(真理)というものじゃ。
というように、何かを見えないように包んでおくこと、をいうそうですから、「葆力」は「努力を人に見せないようにしている」というような意味になります。
石戸の百姓は言いおったんじゃ。
「マジメに努力しておられますなあ、君主さまのお人柄は。見えないように働いておられるお方じゃ」
―――ほめてくれてるんじゃないの?
と思ってはいけません。これは、
以舜之徳為未至也。
舜の徳を以ていまだ至らずと爲すなり。
舜の徳がまだ完全になっていない、という意味なのです。
至徳の状態になっていれば、王さまとして世界を平穏に保つ仕事は、何の面倒もなくやれるはずで、これを人に譲ろうとしたりするはずがない。
石戸の百姓は、これ以上めんどうにかかずらわるのがイヤになったらしく、
於是夫負妻戴、携子以入於海、終身不反也。
ここにおいて夫は負い妻は戴き、子を携えて以て海に入り、終身反らず。
すぐに夫は荷物を背負い、女房は荷物を頭に載せ、子どもの手を引いて海を渡ってどこかに行ってしまい、二度と帰ってくることはなかった。
起きて来なかったときは、わたしもここに行ったと思ってください。それにしても、「夫は負い、妻は戴く」と古代の荷物運搬民俗が何気なしに書かれていて、ためになります。
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「荘子」譲王篇より。独り者かと思ったら、面倒くさがりのくせにちゃんと女房も、さらに子どももいたんです。それでも世を捨てるとは立派ですね。
知り合いの吉田さん(兼好法師くん。かつてともに隠者として隣で暮らしていた・・・ような気がするので、なれなれしく呼んでみました)の「徒然草」第百四十二段に曰く、
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。ある荒夷(あらえびす)の恐ろしげなるが、かたへ(相手)にあひて、
――御子はおはするや(おまえさん、お子さんはおられるのか?)
と問ひしに
――一人も持ち侍らず(一人もおらんです)
と答へしかば、
――さてはもののあはれは知り給はじ、情けなき御心にぞものし給ふらんと、いと恐ろし。子故にこそ万(よろず)のあはれは思ひ知らるれ
(それでは、いろんなかなしみ(悲しみ、哀しみ、愛しみ)はご存じないであろう。感情のないお心でおられるのだろうと、たいへん恐ろしくなる。子どものせいでこそ、いろんなかなしみを思い知るというのに)
余計なお世話でござる・・・という気もちょっとしましたが、閑話休題。
と言ひたりし、さもありぬべき事(そのとおりであろうこと)なり。恩愛の道(親と子の関係)ならでは、かかる者の心に、慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。・・・(中略)・・・まことにかなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みをもしつべき事なり。されば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず寒からぬやうに世をば行はまほしき(政治を行ってほしい)なり。(以下略)
いつもは「新自由主義はおろか、資本主義も知らぬ中世の愚者なり」と軽んじている吉田ケンコウごときに正論を言われてしまいました。わたしどもしもじもは「へへへ」「そいつはご苦労なこって」とうだうだしていればいいのですが、為政者のみなさまは、マウント取り返さないと現代人の名折れではありませんかね。へへへ。
なお、吉田さんは第六段では
子といふものなくてありなむ。(子どもというものは無い方がいいなあ。)
と言ってたりするので(ここでは家門を守るために無理をすることを否定しているらしい)、中世のやつなのに一筋縄ではいかないですね。
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