愧頭上天(頭上の天に愧ず)(菊池渓琴「山中答人」)
年寄なので朝起きるのはできると思うのですが(その分昼寐る)、寒いのが困ります。血管が。明日の夜は五時半ぐらいから美味いものでも食って早く寝たいなあ。明日の夕方まで元気でいられるかなあ。

トラだ。厳しい目でおれの言動を見据えている。間違ったことはできない・・・などと自分を律しているわけではありません。もちろん頭上の天にもいろいろ恥ずかしい。
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幕末のころだと思うのですが、紀州の山村で、人に「君は今の生活に満足しておるのか」と訊かれて答えた。
心事一枝筆、生計二頃田。
心事は一枝の筆にあり、生計は二頃の田にあり。
「頃」(けい)は広さの単位です。この詩と同時代の清代だと6ヘクタールぐらいをいうのですが、この詩は「洛陽城外に二頃の田」があればそれで満足して出世しようなどとは思わなかった、という戦国の蘇秦の言を踏まえているはずですから、戦国のころの「一頃」を調べると、1.8ヘクタールぐらいだそうです。したがって、
心の中に思っていることは、一本の筆によって発表する。
生きるための資は、3.6ヘクタールぐらいの田んぼの耕作で稼いでいる。
ということになります。3.6というのは、いずれにしろ比喩だと思いますが。
詠帰烏巾影、不愧頭上天。
詠帰す烏巾の影、頭上の天に愧じず。
粗末な黒い頭巾をかぶって、うたいながら(田んぼから)帰ってきた。
頭の上には天。天に申し訳ないと思うようなことは、何一つしていない。
毎日マジメに生きている、と言いたいのでしょう。こんな仕事だと「ああしてこうして、〇〇さんにも断って・・・」といろいろ考えなくても、手帳一つで計画も立てられるかも。
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本朝・菊池渓琴「山中答人」(「明治大正名詩選」所収)。菊池渓琴は紀伊の人、孫左衛門と称す。江戸に出て詩を大窪天民に学び、儒学や歴史学を修め、海防問題を論じたという。明治14年(1881)没、年八十三。もう寝る、というか、布団に入ります。明日の晩は何食べられるかなあ。
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