不践城中(城中を践まず)(「澠水燕談録」)
今の子どもたちが60歳ぐらいで孫が出来るとして、そいつらが三十代・四十代になるころには西暦2100年になってまいります。

ナスのごとく子孫繫盛・・・と行きますかどうか。
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五代十国の十国の中に、南漢といわれる国がありました。西暦でいうと909年から971年まで、今の廣東、廣西・貴州、北ベトナムの一部を版図としていた小さな国ですが、南海と中原との間の仲介貿易でなかなか豊かであったそうで、蘇禹珪はその国の宰相だった。
蘇禹珪の子の蘇徳祥は、宋の時代に入って、
建隆四年進士第一人。
建隆四年(963)の進士第一人なり。
北宋建国(960)以降最初の科挙試験であった建隆四年(963)の試験で、進士科に首席で合格した。
いわゆる「状元」です。南海の小さな国から受験して、あっという間に全国的な大スターになった。
登第初還郷里、太守置宴以慶之。
登第して初めて郷里に還るに、太守宴を置いて以てこれを慶ぶ。
合格して一度郷里に還りました(そのあと任命されてまた上京する)が、その際には、地方の太守が大宴会を開いて、住民みんなで大いに慶賀した。
宴会の席上、
楽作、伶人致語曰、昔年随侍嘗為宰相、郎君今日登科又是状元。
楽作(お)こり、伶人語を致して曰く、昔年随侍するは嘗て宰相たり、郎君今日登科またこれ状元、と。
音楽が演奏され、俳優(芸人)が進み出て、発言した。
「いにし年、随い侍るその人は、かつての宰相。若君は今日のこの日、科挙に合格、それも、あ、なんと! これぞ状元~~!!!」
歌舞伎の口上みたいなのをイメージしてください。
先輩言、雖俚俗而頗尽其実。
先輩言う、俚俗といえども頗るその実を尽くせり、と。
ある(役人の)大先輩から聞いたことですが、
「辺境でやることだから田舎っぽいのだが、けれどみんなの気持ちを実によく尽くしたお祝いだった・・・」
そうです。
期待された徳祥でしたが、その後、それほど出世しないうちに亡くなってしまった。
この蘇徳祥の孫を蘇丕といった。
丕有高行。少時一試礼部、不中。払衣去。
丕は高行有り。少時一たび礼部に試するも、中せず。衣を払いて去る。
この蘇丕は俗世を離れた高尚なところがあった。若い時に、一回だけ科挙試験を受けた。(地方試験をパスして)中央の礼部主催試験まで行って落第すると、きれいさっぱり、後を振り返りもせずに帰郷した。
その後、
居洱水之濱五十年、不践城中。
洱水の浜に居ること五十年、城中を践まず。
広州の洱水のほとりで五十年間、半ば隠棲して過ごし、この間、州都には一度も行かなかった。
時の太守が朝廷に申し上げて、
賜号冲退居士。
賜りて冲退居士と号す。
「しずかに退いている無職のひと」という号を賜ったのである。
その授与の際に一度州庁に来たが、その後はまた田舎に住んで、しばらく生きて、
年八十余卒。
年八十余にして卒す。
八十数歳になって亡くなった。
宰相にも状元にもなりませんでしたが、長生きはした。みなさんはどの人生を目指しますか。
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宋・王闢之「澠水燕談録」巻六より。上のやつが八十歳まで生きると2140年ぐらいです。まだあるのかな。地球とか。
「不利益分配」というのはいいコトバですね。これからのトレンドはこれだ。
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