詩中有人(詩中に人有り)(「不下帯編」)
週末だから詩でも読むか。
ところで、みなさんはどこかに自分がいますか。

おれたちカッパはカエルと違って茹でられても死ぬはずないでカッパ。高齢化でも人口減少でもどーんと来い、でカッパ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明の終りから清の初めのひと、余姚の梨洲先生・黄宗羲は博学大才、最後まで清朝に仕えようとしなかった「明の遺臣」、智慧と道義を兼ね備えたひとですが、
有執巻仰可者。
執巻して可を仰ぐ者有り。
あるひとが、自分の書いた詩集を持参して、評価をお願いした。
先生初閲之曰、杜詩。
先生、初めこれを閲して曰く、「杜詩なり」と。
先生は、最初に一読して言った、「これは杜甫の詩だな」と。
杜甫の詩をお手本にして作っていたので、その人はちょっといい気分になった。
再閲之連声曰、杜詩、杜詩。
これを再閲し連声して曰く、「杜詩なり、杜詩なり」と。
もう一回読んで、続けざまに言った、「これは杜甫の詩だ、杜甫の詩だ」と。
「うっしっしー、杜甫の詩に見えますか。いやあそれほどでも・・・」
其人欣形於色。
その人、欣びを色に形(あら)わす。
その人は、うれしくてにこにこしてしまった。
すると、先生は、おもむろに言った、
詩則杜矣、但不知子詩安在。
詩はすなわち杜なり、ただ知らず、子の詩は安くに在りや。
「詩は杜甫の詩だと思う。で、おまえさんの詩はどこにあるのか、教えてくれんか?」
「は?」
先生は言った、
詩中有人。豈非詩中無人耶。
詩中には人有り。あに詩中に人無きこと非ざらんや。
「詩の中には、その人がいるのだ。詩の中に、その人がいない、なんて詩がありうるものか」
「むむ!!!」
其人爽然自失、退而遜心苦志以求之者両載。
その人、爽然として自失し、退きて遜心苦志以てこれを求むること両載なり。
その人は、全く違っていたので自分を見失ってしまい、先生の前から退いて、心を謙遜にし、苦しい思いをしながら、先生の言われたことを表現しようとして二年経過した。
復以仰可、則先生首肯曰、是則子之詩矣。
また以て可を仰ぐに、すなわち先生首肯して曰く、「これすなわち子の詩なり」と。
また先生のもとに向かい、評価を願ったところ、先生はうなずきながらおっしゃった、「これじゃ、これがおまえさんの詩じゃよ」と。
予友万承勲曾述此一節、因識之。
予の友・万承勲曾てこの一節を述ぶ、因りてこれを識れり。
わしの友人・万承勲が以前この短い話をしてくれた。それでわしはこんなことがあったことを知ったのじゃ。
間違ってたらそいつのせいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清・金埴「不下帯編」巻三より。みなさんは詩の中に自分を発見できますか。
わたくしはたうとう気狂ひのやうに
あの雨の中へ飛び出し
測候所へも電話をかけ
村から村をたづねあるき
声さへ涸れて
凄まじい稲光りのなかを
夜更けて家に帰つて来た
けれどもさうして遂に睡らなかつた
さうしてどうだ
今朝黄金の薔薇 東はひらけ
・・・・・・・・・・・
たうとう稲は起きた
(「和風は河谷いつぱいにふく」)
と書いてみたところ、
「賢治だ! 賢治だ!」
「え、ほんとですか。ありがとうございます」
「ところで、君はどこにいるのだ?」
と言われる感じでしょうか。二年ぐらい努力して、
ぎやわろッ ぎやわろッ ぎやわろろろろりッ
ぎやわろッ ぎやわろッ ぎやわろろろろりッ
ぎやわろッ ぎやわろッ ぎやわろろろろりッ
というのを持ってたら、「君の詩だね」と言われたらどうしよう。
ちなみに後のは草野心平の「号外」という詩です。権力者のシマヘビが死んだ、というので、カエルたちが鳴いてその喜びを伝えていく、という内容。・・・うーん、確かにこのカエルたちこそ、わたしの自分かも知れない。そしておそらくその中にみなさんもいますよ。
コメントを残す