1月22日 今日も寒いとは怪しからんと口で言うだけ

不勝憤懣(憤懣に勝(た)えず)(「後漢書」)

こんな言葉は口だけですよ。少なくともわたくしは全く怒っておりません。

龍はいつもニコニコして、滅多に怒らないんだよー。人間が「あのこと」さえしなければね。

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後漢の光武帝には十一人の息子がおりました。そのうち、陰皇后との間の長男が後を継いで明帝となった。明帝は賢君と言われますが、あとの兄弟の中で、後世に至るまでその言行をともに称讃されたのが、東平王に封じられた劉蒼さまでございます。

明帝の永平四年(61)春、

車駕近出、観覧城第。尋聞当遂校猟河内。

最近は世の中もよく治まっているし、それぐらいよいのではないか、という声が強かったのじゃが、この時首都洛陽にいた東平王が書を奉って申し上げた。

臣聞、時令、盛春農事、不聚衆興功。

これは「礼記」月令篇のコトバを要約したものでございます。同書には、

孟春之月、無聚大衆、無置城郭。仲春之月、無作大事、以妨農事。

とあります。

また、前漢に作られた「尚書五行伝」にはこうあります、

田猟不宿、食飲不享、出入不節、奪人農事、及有姦謀、則木不曲直。

「宿」は、狩猟を行う際に前日までに一般人に通知しておくことを言うのだそうで、「宿せず」とは、それを当日になってやっと報らせる、ということです。「享」は「享受」だと「うける」方になりますが、本来「うける」「享受する」のは神さまやお客さんなので、こちらからは「お進めする」の意味になります。

「木が曲がったり真っすぐになったりしない」とはどういうことでしょうか。前漢の鄭玄の注によれば、

木性或曲、或直、人所用為器者也。無故生不暢茂、多有折槁、是為不曲直。

「曲直」は「生気があるので折ろうとしてもすぐ折れずに曲がる、撓む」「まっすぐに伸びる」ことを言い、「曲直せず」はそうならない、すぐ折れるし伸びない、ということなのだそうです。よくない事業をすると、木が本質を失ってしまう、ということだ。
こういうことが「たたり」とか「のろい」ではなく、自然の当然の法則である、科学的なことである、というのが「尚書五行伝」の立場なのですじゃ。

―――しかしながら、

至秋冬、乃振威霊、整法駕、備周衛、設羽旄。詩云、抑抑威儀、惟徳之隅。

それなのに、今この春の季節に狩猟に出かけるなどとは、

臣不勝憤懣、伏自手書、乞詣行在所、極陳至誠。

以上、東平王の上奏です。

帝はこの上奏をご覧になると、
「よう言うてくれた」
とにこにこしながら洛陽に戻ったという。
「憤懣に勝えず」と言ってますけど、実は意見があったらちゃんと聞くよ、「聞く力」あるよ、というパフォーマンス、というか出来レースのプロレスでは。「プロレスは出来レースだ」と言うと憤懣遣る方ない人もいるかも知れませんが。

後、東平王が亡くなった時には、既に明帝も亡くなっておりました。甥っ子に当たる章帝は三年後に東平国まで行幸され、劉蒼の孫に該たる劉敝の出迎えを受け、

思其人、至其郷。其処在、其人亡。

という有名な言葉をかけ、ともに

泣下沾襟。

そうでございます。
そのころは外戚も宦官も軍閥も群盗も無く、よく治まった平和な時代でありましたのじゃ。

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「後漢書」巻四十二「光武十王列伝」より。春先はあまり騒ぎになることするな、秋にしろ、というのですが、その理由が(雪で大変とか大学入試の邪魔とか、ではなく)仕事に差しさわりがある、とは。働き方改革の現在、逆にいろいろ騒ぎを起こすべきであーる! ということで、えらい人も今年はわざわざ春先に騒がしくしてくれるのでしょう。期間が短いとがっかりですから、長くやってほしいな。
もちろん、わたしが政治や経済のマジメな話をしているはずはありませんのじゃ。

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