不勝憤懣(憤懣に勝(た)えず)(「後漢書」)
こんな言葉は口だけですよ。少なくともわたくしは全く怒っておりません。

龍はいつもニコニコして、滅多に怒らないんだよー。人間が「あのこと」さえしなければね。
※龍のうろこは一枚だけ「逆さま」になっており(これを「逆鱗」といいます)、それに触れると激怒する、といわれます。やってみる? やらないリスクよりやるリスクの方が大きいかも。
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後漢の光武帝には十一人の息子がおりました。そのうち、陰皇后との間の長男が後を継いで明帝となった。明帝は賢君と言われますが、あとの兄弟の中で、後世に至るまでその言行をともに称讃されたのが、東平王に封じられた劉蒼さまでございます。
明帝の永平四年(61)春、
車駕近出、観覧城第。尋聞当遂校猟河内。
車駕近出し、城第を観覧す。尋(つい)でまさに河内に校猟すべしと聞こゆ。
皇帝の乗り物が都から近いところまで出かけ、城砦や離宮の様子をお調べになった。その時、それに続けて、少し遠い河南方面に行幸して狩猟をされるのではないか、というウワサが聞こえてきた。
最近は世の中もよく治まっているし、それぐらいよいのではないか、という声が強かったのじゃが、この時首都洛陽にいた東平王が書を奉って申し上げた。
臣聞、時令、盛春農事、不聚衆興功。
臣聞く、時令に「盛春は農事にして、衆を聚めて功を興さず」と。
―――わたくしめはこのように聞いております。いにしえよりの季節の守り事に、
「春の間は農業の仕事が盛んにあるから、人民を集めて何かの事業を始めてはならない」
と書かれている、と。
これは「礼記」月令篇のコトバを要約したものでございます。同書には、
孟春之月、無聚大衆、無置城郭。仲春之月、無作大事、以妨農事。
孟春の月、大衆を聚むる無く、城郭を置く無かれ。仲春の月、大事を作して以て農事を妨ぐる無かれ。
とあります。
春の第一の月(現在の二月)には、たくさんの人を集めてはいけないし、城や街の建築を始めてはいけない。(まだ一年のエネルギーが溜まっていないから、人も土地も静かにしておくべき時なのだ。)
春の第二の月(三月)には、大きな工事や催しをしてはならない。この季節は農業でみんな忙しいから邪魔するな。
また、前漢に作られた「尚書五行伝」にはこうあります、
田猟不宿、食飲不享、出入不節、奪人農事、及有姦謀、則木不曲直。
田猟に宿せず、食飲を享(すす)めず、出入を節せず、人の農事を奪う、及び姦謀有るは、すなわち木、曲直せざるなり。
「宿」は、狩猟を行う際に前日までに一般人に通知しておくことを言うのだそうで、「宿せず」とは、それを当日になってやっと報らせる、ということです。「享」は「享受」だと「うける」方になりますが、本来「うける」「享受する」のは神さまやお客さんなので、こちらからは「お進めする」の意味になります。
狩猟を行うのに事前に予告をしない、食べ物・飲み物を(時節に応じて神さまに)お進めしない、頻繁に城や館から出かける、人びとの農業の邪魔をする、以上の行為のほか、主人に悪だくみがある場合、その土地の木が曲がったり真っすぐになったりしなくなる。
「木が曲がったり真っすぐになったりしない」とはどういうことでしょうか。前漢の鄭玄の注によれば、
木性或曲、或直、人所用為器者也。無故生不暢茂、多有折槁、是為不曲直。
木の性はあるいは曲、あるいは直、人の用いて器と為すところのものなり。故無くして生ゆるも暢茂せず、多く折槁有る、これ「曲直」せざると為す。
木というものは、本来、撓んだり真っすぐ延びたりして、ひとがそれを使って器を作る材料になるのである。ところが、どういうわけか、生えてもどんどん伸びようとしなかったり、曲げようとするち枯れ朽ちて折れてしまう、ということがあると、これを「曲直しない」というのである。
「曲直」は「生気があるので折ろうとしてもすぐ折れずに曲がる、撓む」「まっすぐに伸びる」ことを言い、「曲直せず」はそうならない、すぐ折れるし伸びない、ということなのだそうです。よくない事業をすると、木が本質を失ってしまう、ということだ。
こういうことが「たたり」とか「のろい」ではなく、自然の当然の法則である、科学的なことである、というのが「尚書五行伝」の立場なのですじゃ。
―――しかしながら、
至秋冬、乃振威霊、整法駕、備周衛、設羽旄。詩云、抑抑威儀、惟徳之隅。
秋冬に至れば、すなわち威霊を振い、法駕を整え、周衛を備え、羽旄を設く。詩に云う、「抑抑(よくよく)たる威儀、これ徳これ隅す」なり。
秋や冬の季節になれば、帝がお出かけになる時、威力ある雰囲気を振りまき、決まりどおりの行列を整え、護衛隊を備え、旗指物を立てることができましょう。(その季節には人民たちも帝の行列を迎えることを喜び、)「詩経」の大雅「抑」篇にありますように「ひとびとを威圧するような威力あるすがた、そこには徳が正しく並ぶ」という状況になるはずです。
それなのに、今この春の季節に狩猟に出かけるなどとは、
臣不勝憤懣、伏自手書、乞詣行在所、極陳至誠。
臣、憤懣に勝えず、伏して自ら手書して、乞う行在所に詣りて、至誠を極陳せんことを。
わたくしめは、いきどおりをガマンすることができません。そこで俯いて自らの手でこの奏上を書きました。これから、お出かけになっているその場所まで行かせていただいて、すごい誠意を帝に対してぶちまけさせていただこうと思います。
以上、東平王の上奏です。
帝はこの上奏をご覧になると、
「よう言うてくれた」
とにこにこしながら洛陽に戻ったという。
「憤懣に勝えず」と言ってますけど、実は意見があったらちゃんと聞くよ、「聞く力」あるよ、というパフォーマンス、というか出来レースのプロレスでは。「プロレスは出来レースだ」と言うと憤懣遣る方ない人もいるかも知れませんが。
後、東平王が亡くなった時には、既に明帝も亡くなっておりました。甥っ子に当たる章帝は三年後に東平国まで行幸され、劉蒼の孫に該たる劉敝の出迎えを受け、
思其人、至其郷。其処在、其人亡。
その人を思い、その郷に至る。その処は在るも、その人亡(な)し。
その人のことを思いながら、その人のいた里にやってきた。その場所はあったけれど、その人はもういないのだ。
という有名な言葉をかけ、ともに
泣下沾襟。
泣下して襟を沾おす。
流れる涙が襟を濡らした。
そうでございます。
そのころは外戚も宦官も軍閥も群盗も無く、よく治まった平和な時代でありましたのじゃ。
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「後漢書」巻四十二「光武十王列伝」より。春先はあまり騒ぎになることするな、秋にしろ、というのですが、その理由が(雪で大変とか大学入試の邪魔とか、ではなく)仕事に差しさわりがある、とは。働き方改革の現在、逆にいろいろ騒ぎを起こすべきであーる! ということで、えらい人も今年はわざわざ春先に騒がしくしてくれるのでしょう。期間が短いとがっかりですから、長くやってほしいな。
もちろん、わたしが政治や経済のマジメな話をしているはずはありませんのじゃ。
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