人畏老貧(人は老いて貧しきを畏る)(「後山談叢」)
カネがすべての世の中だ―――とすれば、老いて貧しいのは恐ろしい。われわれの気づかないうちに経済や福祉が後退していく(気づいても「まあまだいいか」の精神力だ)時代ですので、セーフティネットぐらいは張っておいてもらいたいものです・・・と望むのも、老害のそしりを免れないのか。嗚呼。

福をもたらすえべっさんはきっと関西弁やで。知らんけど。
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北宋のころですが、こんな俗諺(民間の言い習わし)があったそうです。
夏旱修倉、秋旱離郷。
夏旱は倉を修め、秋旱は郷を離れよ。
夏に雨が降らなんだら、(収穫が多いから)倉庫を修理しておくことじゃ。秋に雨が降らんだら、(収穫が無いから)流浪することを覚悟しておけ。
どういうことであろうか。
歳自処暑至白露不雨、則稲雖秀而不実。
歳、処暑より白露に至るに雨ふらざれば、稲秀でるといえども実らず。
真夏(7月中旬の梅雨明けから8月上旬の立秋まで)に雨が降らずにがんがん日が照ると、稲はよく育つ。一方、
一年のうち、(二十四節句の)処暑(だいたい8月下旬)から白露(9月上旬)の間に雨が降らないと、稲は育っていてもコメ粒が実らないのじゃ。
呉地下湿不積、一凶則饑矣。
呉地は下湿にして積せざれば、一凶すなわち饑ゆ。
特に長江下流の呉の地方は、地下に湿気があって穀物を何年も保存しておけないので、ひとたび凶作になると飢餓が訪れるのである。
そうすれば食を求めて一家離散、放浪者となるしかない。恐ろしいことではないか。
人間社会について類推してみますと、
田怕秋旱、人畏老貧。
田は秋の旱を怕れ、人は老いて貧しきを畏る。
水田耕作では(夏の間は降水が少なくてもよいが、取り入れ間近の)秋に降水が少ないことが恐ろしい。人生においては、(若いうちの貧乏はよいのだが、あの世が近くなった)老いて貧しいことが恐ろしい。
心配ですね。
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宋・陳師道「後山談叢」巻三より。陳師道は徐州のひと、字を履常といい、後山居士と号す。仕官の意欲は無かったそうですが、歳三十を過ぎて蘇軾(東坡)らの推薦で徐州の教授、さらに都・開封で太学博士となった。蘇軾ら旧法党が失脚すると科挙を受けていないことを攻撃されて罷免され、地元に帰る。旧法党が復権した元符三年(1100)にふたたび呼び出されて秘書省正字となるが、翌年病に卒した。
この「談叢」は、同時代の人物の言動や社会の現状をいろいろ書き残してくれているメモ集みたいなものですが、情報の集まってくる中央省庁のえらい人、ではなく、民間に近いところでデマやウワサ話レベルのことを聞いていた人なので、陳後山の死の30年後ぐらいに生まれた南宋の朱子が「その時どきに聞いたこと(「一時の伝聞」)をそのまま書いているので、いい加減なことも多いが、それはいにしえの司馬遷や班固でも免れなかったことである」と批判しながら基礎資料として珍重しています。・・・というように、いい加減なものだと思って読めば案外役に立つ・・・あれ? ならば現代のメディアと何が違うというのか。
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