令和8年1月調査報告(東海道・権太坂)

1月18日(日) 権太坂(旧東海道)に行ってみました。具体的には保土ヶ谷駅から東戸塚まで歩いてみます。旧東海道、江戸側からはぎりぎり一日の距離になり、最初の難所といわれた権太坂、上方側からは、最後の難所・焼餅坂、どちらからも昇ったところが境木地蔵だ。
なお、「箱根駅伝」で有名な「権太坂」は国道一号線を開いた時に東海道で有名な「権太坂」の名前をつけたもので、近くを登っていますがだいぶ違う方向に行きます。

〇保土ヶ谷宿 ・・・ 表札見ていると、宿場時代からの人がまだ住んでいるみたいです。

旧保土ヶ谷宿(現保土ヶ谷駅東口商店街)。いい感じですね。

保土ヶ谷宿本陣跡。ご子孫らしき方が住んでるみたいです。

脇本陣。ここは消防署になってました。

〇外川神社 ・・・ 出羽三山信仰、外川仙人権現を祀る。

正面の祠は道祖神さま。江戸中期の建物という。左に外川権現、右は稲荷さん。

〇保土ヶ谷元町 ・・・ 宿場の上方見附を出たあたり。

旧元町橋たもとの帝釈天さま。

〇権太坂 ・・・ 坂の名前を訊かれて耳の遠い老人が自分の名前を訊かれたと勘違いして「権太じゃ」と答えたからだ、という伝承がいいですね。

坂の途中にはもうウメが咲いておりました。

〇投込み塚跡 ・・・ 今回はここに来たかったんです。権太坂を登り切ったあたり(武相国境の無法地帯?)で行き倒れる人馬が多く、それを投込む井戸があった、という伝承があったのですが、近年住宅地にするために整地したら、このあたりから多量の人骨が出現し、伝承が正しかったことが証明されたという。

真ん中のは昭和三十九年だかに宅地造成の時の供養碑。右側のは天保年間の牛馬・無縁の供養塔。左には庚申塔。

〇境木地蔵 ・・・ このあたりは峠を登ってきた大名行列の休憩場所で、団子売屋が並び、中には武家門を持つ格式高い店(若林家)もあったそうです。

〇萩原屋敷・道場、萩原君の碑 ・・・ 旗本萩原家の現地支配庄屋の屋敷なのですが、幕末期の萩原家当主が住み、剣術道場として多くの門生を育てた。東海道を移動する剣客たちの訪問もあり、近藤勇が上方にのぼるときに立ち寄った記録ありという。ネコ四匹確認。おそらく兄弟。

〇焼餅坂(牡丹餅坂) ・・・ 戸塚側からの昇りの最後の坂。

〇品濃坂 ・・・ 戸塚側からはまずこの坂を上る。神奈川県下で唯一現存する一里塚(品濃一里塚)は一見の価値あり。

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