糧食断絶(糧食断絶す)(「唐摭言」)
この題名だけ見るといよいよ絶食ダイエットか、と期待されますが、違います。
一昨日の記事で「乾陀羅」を「エフタル」の音訳と紹介していますが、「乾陀羅」は「ガンダーラ」の音訳です。なぜこんなことを間違うのか、一昨日担当の肝冷斎がボケてきているのではないかと思われます。「宋雲」を僧侶と紹介していますが、宋雲自身は僧籍に無かったようです。これも間違いです。ほんっとダメだな、あの人は。
今日は成人の日です。老人性のなんとかでうつになっている人はほっといて、われわれ若者で明るくやりましょう。わっはっはっは。

牛乳のんでカルシウム摂らないと短気になって失敗するでモー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高度経済成長期、「ゼニの無いやつはおれんとこに来い」と言ったひと(植木等さん「だまっておれについてこい」(作詞・青島幸雄))もいました。しかし、「おれも無いけど心配すんな」とのことでした。
無いとは怪しからん。カネのあった人の話をします。
則天武后の時代、大学に郭震という若者が入学してきました。河北・大名の人で、実家は富裕で金払いがいいので、薛稷、趙彦昭といった年上の同窓生ともすぐに親しくなった。
時有家信至、寄銭四十万、以為学糧。
時に家信至り、銭四十万を寄せて、以て学糧と為す。
ちょうど、実家から連絡が来て、四十万銭を添付して、これを学費にするようにとのことであった。
「四十万銭」がいくらぐらいか、と言われると困るのですが、銭一貫(1000銭)を十万円ぐらいに考えていいのではないかと思うので、そうすると四十万銭は4,000万円ぐらいになります。
その晩のこと、
忽有一衰服者叩門。
忽ち、一衰服者の門を叩く有り。
突然、一人の喪服を着た人が、郭の借家の門を叩いた。
「何事ですか」と問うに、
五代未葬、各在一方。今欲同時挙大事、乏于資財。聞公家信至。頗能相済否。
五代いまだ葬らず、おのおの一方に在り。今同時に大事を挙げんと欲するに、資財に乏し。聞く、公、家信至ると。すこぶる能く相済うや否や。
父、祖父、曾祖父、その前、その前の前、と五代にわたって葬儀を挙げることができておりません。しかもその五代の先祖の遺骸があちこちの地方に散らばっております。今、いっぺんに五人の遺骸を引き取ってきて、葬儀を挙げようと思うのです。・・・が、おカネが足りません。聞いたところでは、あなたの実家から今日仕送りが来た、とのこと。ものすごくわたしを助けてくださるのではないかと思うのですが、違いますか。
「なるほど。それは大変だ」
郭震は、
即命以車、一時載去、略無留者、亦不問姓氏。
即ち命ずるに車を以てし、一時に載去してほぼ留むる無く、また姓氏を問わず。
ただちに牛車を命じて、実家の仕送りの銭をほとんど残さずに一度に積み込んで持って行かせた。その際、相手の姓名も訊かなかった。
これは「なんとか詐欺」かも知れません。
「おまえ何やってんだ?」「世間知らずもいいところですよ」
深為趙薛所誚。
深く趙・薛の誚(せ)むるところと為る。
趙彦昭と薛稷からひどく責められた。
だが、郭震は、
怡然曰、済彼大事、亦何誚焉。
怡然として曰く、「彼の大事を済(すく)う、また何をか誚むるや」と。
にこにこしながら言った、
「あの人の大事なことを手助けしたんですよ。なんで責められなければいかんのか」
と。
其年、為糧食断絶、竟不成挙。
その年、ために糧食断絶し、竟に挙を成さず。
その年は、このため学資が尽きてしまい、とうとう試験に受からなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
五代・王定保「唐摭言」巻四「気義」章より。唐代の文人の「おとこ気」のお話を集めた章です。実はこの三人、ともに後に進士になり、則天朝から中宗・睿宗期に宰相クラスに出世したのですが、太平公主のクーデタに連座したり、巫女に入れあげていると評判になったり、玄宗皇帝の勅勘を受けたりして、薛稷が死罪かな、そしてあと二人は失脚して辺境の任地で死んでしまいます。
わっはっは。右肩上がりの高度経済成長期やバブルのころに青年時代を送ったやつらはツメが甘かったと思います。でも、なんで今の方が労働生産性低いんやろ?
コメントを残す