1月8日 服にする新聞紙取ってないので毎日寒い

用杖自箠(杖を用いて自ら箠(むち)うつ)(「後漢書」)

今日はこのひとがおもしろいのでこのひとの話をします。うつも治らず部屋の中でも指先が冷たいが、みなさんに教え諭すためだからなあ。学んでほしいものだなあ。

にんじん二本もぶらさげられたらさすがに働きますよね。

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後漢の淳于恭(じゅんう・きょう)は河南・密州のひと。密州は古くは「淳于城」といい、この地は春秋時代に淳于国のあった地である。
恭は「老子」を学び、清廉な生活を望んで、有名になろうとはしなかった。

家有山田果樹、人或侵盗、輒助為収採。又見偸刈禾者、恭念其愧、因伏草中、盗去乃起。里落化之。

いいひとではありませんか。
王莽が漢を簒奪(紀元9年~23年)したあと、乱世になってしまったが、

歳飢兵起、恭兄崇将為盗所亨、恭請代、得倶免。

単に刑罰として釜茹でをするのではなく、食べ物にするんです。「人間汁」だ。

この兄貴はその後、病気かなにかで普通に死んでしまったんですが、恭は、

養孤幼、教誨学問、有不如法、輒反用杖自箠。以感悟之、児慙而改過。

当時はなお社会の混乱が続き、あちこちに強盗団が出来て、人民はその略奪に苦しんでいたから、

百姓莫事農桑。恭常独力田耕。郷人止之。

時方淆乱、死生未分、何空自苦焉。

生きていれば、その時はこちらも略奪に行けばいいのだ。

すると、恭は言った、

縦我不得、它人何傷。

「它」(た)は「他」です。「他」の「也」もヘビの象形だそうですが、「它」は頭の大きな毒蛇(まむしなど)の象形文字。なんとなくわかりますよね。

そして、

墾耨不輟。

過疎化していく山間部などで減反(生産調整)に従わないやつはこんな感じなんでしょうか。

その後、世の中が落ち着き、

州郡連召、不応。遂幽居養志、潜於山沢、遂数十年。

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「後漢書」巻三十九「劉・趙・淳于・江・劉・周・趙列伝」より。この巻は親や兄弟に孝行した人を集めたものです。前に出て来る人も後の人も兄弟が煮られる身代わりになろうとして相手を感動させた人ばかり、「人間汁」は当たり前の時代ですが、自分をむちうつところはインパクト強いですよね。みなさんもこうやって部下や後輩を教えなければ。

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