用杖自箠(杖を用いて自ら箠(むち)うつ)(「後漢書」)
今日はこのひとがおもしろいのでこのひとの話をします。うつも治らず部屋の中でも指先が冷たいが、みなさんに教え諭すためだからなあ。学んでほしいものだなあ。

にんじん二本もぶらさげられたらさすがに働きますよね。
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後漢の淳于恭(じゅんう・きょう)は河南・密州のひと。密州は古くは「淳于城」といい、この地は春秋時代に淳于国のあった地である。
恭は「老子」を学び、清廉な生活を望んで、有名になろうとはしなかった。
家有山田果樹、人或侵盗、輒助為収採。又見偸刈禾者、恭念其愧、因伏草中、盗去乃起。里落化之。
家に山田の果樹有り、人あるいは侵盗するに、すなわち助けて収採を為さしむ。また、刈禾(がいか)を偸む者を見れば、恭その愧じんことを念(おも)いて、因りて草中に伏し、盗去りてすなわち起く。里落これに化せり。
彼の家の保有する山中の田に果物の成る木があったが、誰かがそれを盗もうとするのを見つけると、その収め取るのを助けてやるのであった。また、田んぼに刈り取った後に干してある稲を盗もうとする人がいると、恭はその人が見つかってイヤな思いをするのではないかと思い、草の中に身を隠して見つからないようにし、盗人がいなくなってからはじめて立ち上がったりした。
村の人たちは感心して、彼に感化された。
いいひとではありませんか。
王莽が漢を簒奪(紀元9年~23年)したあと、乱世になってしまったが、
歳飢兵起、恭兄崇将為盗所亨、恭請代、得倶免。
歳飢えて兵起こり、恭の兄・崇、まさに盗の亨(に)るところと為らんとするに、恭代わらんことを請い、ともに免ずるを得たり。
そのころ、収穫が減って飢餓に苦しみ、強盗団が略奪をほしいままにし、恭の兄の崇もそいつらに(捕まって)煮られることになった。
単に刑罰として釜茹でをするのではなく、食べ物にするんです。「人間汁」だ。
恭は兄の身代わりになりたいと申し出て、(感動した強盗団によって)二人とも解放された。
この兄貴はその後、病気かなにかで普通に死んでしまったんですが、恭は、
養孤幼、教誨学問、有不如法、輒反用杖自箠。以感悟之、児慙而改過。
孤の幼きを養い、学問を教誨して、法に如かざる有れば、輒ち反って杖を用いて自ら箠うつ。以てこれを感悟せしめ、児、慙じて改過せり。
兄の遺した孤児がまだ幼かったのを養い、学問を教えた。決まりが守れないようなことがあると、恭はただちに、その子ではなく反対に自分を杖でぶんなぐって、「わかってくれい」と言った。その子は後悔して過ちを改めたということである。
当時はなお社会の混乱が続き、あちこちに強盗団が出来て、人民はその略奪に苦しんでいたから、
百姓莫事農桑。恭常独力田耕。郷人止之。
百姓、農桑を事とする莫し。恭、常に独り力田して耕やす。郷人これを止どむ。
人民たちは(収穫しても意味がないので)農業や機織りをするのを止めてしまっていた。恭は、いつも一人だけ、田んぼを耕していたので、村の人たちは「やめとけやめとけ」と止めさせようとして、言った。
時方淆乱、死生未分、何空自苦焉。
時まさに淆乱し、死生いまだ分ぜず、何ぞ空しく自苦す。
「こんな混乱した時代だ、収穫するころには生きているか死んでいるかもわからん。おまえさんは何でそんな空しい努力をするのじゃ?」
生きていれば、その時はこちらも略奪に行けばいいのだ。
すると、恭は言った、
縦我不得、它人何傷。
我をしてほしいままに得ざらしむも、它人何ぞ傷(いた)まん。
「它」(た)は「他」です。「他」の「也」もヘビの象形だそうですが、「它」は頭の大きな毒蛇(まむしなど)の象形文字。なんとなくわかりますよね。
「わしがやりたくてやって、結果として何も得られなくても、おまえさんたち他人が何か困ることがあるのかね」
そして、
墾耨不輟。
墾耨(こんどう)輟(や)めざりき。
耕すことを止めようとしなかった。
過疎化していく山間部などで減反(生産調整)に従わないやつはこんな感じなんでしょうか。
その後、世の中が落ち着き、
州郡連召、不応。遂幽居養志、潜於山沢、遂数十年。
州郡連召するも、応ぜず。遂に幽居して志を養い、山沢に潜みて遂に数十年なり。
州や郡から続けざまに(役人になってくれと)お召が来たが、対応しなかった。そして、隠棲してやりたいことをやり、数十年もの間、山中や湿地帯に潜んでいた。
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「後漢書」巻三十九「劉・趙・淳于・江・劉・周・趙列伝」より。この巻は親や兄弟に孝行した人を集めたものです。前に出て来る人も後の人も兄弟が煮られる身代わりになろうとして相手を感動させた人ばかり、「人間汁」は当たり前の時代ですが、自分をむちうつところはインパクト強いですよね。みなさんもこうやって部下や後輩を教えなければ。
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