1月7日 どうも老人性のやつではないかと

莫不泣涕(泣涕せざる莫し)(「後漢書」)

午前中かなり元気だったんですが、午後どんどんダメになってきて、夕方からは何もする気になりません。この間テレビでやってた老人性の双極性のやつだろうと自己診断しましたが、どうする気にもならないので泣き寝入りですわー。

七草がゆ食ってがんばれ!君ならできる、期待している。なぜできないんだ、みんなはできてる。

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後漢の延熹五年(162)、湖南から南海(今の広州)、交趾(北ベトナム)にかけて反乱が起こり、一時、各州の太守が逃げ帰るなど、後漢の華南支配は麻痺してしまいました。このとき、尚書の朱穆は山陽の度尚を推挙し、度尚は荊州刺史に任ぜられると、湖南の諸蛮夷(少数民族)を募兵して、反乱軍を追い詰めていきます。

遂入南海、破其三屯、多獲珍宝。

降る者数万人といいます。度尚はなおも残党を追撃しようとしたのですが、

士卒驕富、莫有闘志。緩之則不戦、逼之必逃亡。

それはそうだ。わはは。やってられるか。・・・よくわかりますね。
そこで、度尚は、諸方から援軍が到着するまでしばらく兵を休めると宣言し、

恣聴射猟。兵士喜悦、大小皆相与従禽。

(おろかなやつらじゃ)

尚密使所親潜焚其営、珍積皆尽。

「うひゃー」

猟者来還、莫不泣涕。

度尚はそんな兵士ら一人一人を慰労して、当座の食糧を与えるとともに、

卜陽等財宝足富数世、諸卿但不并力耳。所亡少少、何足介意。

と言って、煽った。
「おお!」

衆聞咸憤踊。

尚勅令秣馬蓐食、明旦経赴賊屯。吏士乗鋭、遂大破平之。

生産性が上がりました。こちらもご参照ください。→「働き方改革、生産性重視に一定の成果

出兵三年、群寇悉平。

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「後漢書」巻三十八「張・法・滕・馮・度・楊列伝」より。帰還してきたら目標を失ってうつになったのでは。いや、そんな他人さまのことより自分の心配をした方がいいかも。はあ。ちょっと午前中元気よすぎたからなあ。もうダメだ。

ロシア船籍のタンカーが米軍に捕まったというニュース、気になりますね。うつなど吹っ飛ばすやつかも。

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