湯粥灌之(湯粥これに灌ぐ)(「萍洲可談」)
この手の話はいいですねー。おれもまだまだがんばろう、という気持ちにさせられるではありませんか。

今日のお話もおもしろい。そして深く人生の財産になるであろう。福井ひとし氏の作品のように。
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南宋のころのことですが、龍野の張宣義というひとが言うには、
有親戚游官西蜀、経襄漢。
親戚の、西蜀に游官せんとして襄漢を経たる有り。
―――わしの親戚で、四川省の奥地に役人として赴任することになった者がおり、赴任途中に漢水のほとり、襄陽を通った。
其処に、
見一人無首。
一人の首無きを見る。
首の無いやつが一人おったんじゃ。
そいつはある家で働いていた。
「首が無いけど、いいんですか?」
と訊いてみると、
主人云、因患瘰癧、頭脱而活。
主人云うに、瘰癧を患うるに因りて、頭脱するも活す。
主人が言うには、
「こいつは瘰癧(るいれき)を病んでいて、首から上がぽろりと落ちてしまったのですが、生きているのです」
と。
「瘰癧」は、結核菌が下顎等に入ることで起こる症状で、首にこぶのようなものができ、そこに穴があいてしまう病気です。その穴が大きくなって、首が取れてしまったのだそうだ。
「ずいぶん不便ではないですか?」
毎有所需、以手指画。日以湯粥灌之、猶存。
需むるところ有るごとに、手指を以て画す。日に湯粥を以てこれを灌ぐに、なお存せり。
「なにか欲しいものがあると、手の指で文字を書くんです。毎日、お湯とお粥を首の穴(食道?)から注ぎ込んでやっているのですが、まだ生きとりますなあ」
ということだった。大切な労働力なのであろう。
そいつは主人の横で、頷いているようでもあったし、何も聞こえてないようでもあった。
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宋・朱彧「萍洲可談」より。首が無くてもいいんだから、仕事や人間関係で追い込まれても何とかなりそうな気がしてきます。きませんか。なんかだんだん努力するだけ馬鹿らしくなってくるではありませんか。ようし、もう明日からは自由に生きるぞ。税金なんか払うもんか!
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