1月6日 なんとかなるかも知れませんがムリか

湯粥灌之(湯粥これに灌ぐ)(「萍洲可談」)

この手の話はいいですねー。おれもまだまだがんばろう、という気持ちにさせられるではありませんか。

今日のお話もおもしろい。そして深く人生の財産になるであろう。福井ひとし氏の作品のように。

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南宋のころのことですが、龍野の張宣義というひとが言うには、

有親戚游官西蜀、経襄漢。

其処に、

見一人無首。

そいつはある家で働いていた。
「首が無いけど、いいんですか?」
と訊いてみると、

主人云、因患瘰癧、頭脱而活。

「瘰癧」は、結核菌が下顎等に入ることで起こる症状で、首にこぶのようなものができ、そこに穴があいてしまう病気です。その穴が大きくなって、首が取れてしまったのだそうだ。

「ずいぶん不便ではないですか?」

毎有所需、以手指画。日以湯粥灌之、猶存。

ということだった。大切な労働力なのであろう。
そいつは主人の横で、頷いているようでもあったし、何も聞こえてないようでもあった。

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宋・朱彧「萍洲可談」より。首が無くてもいいんだから、仕事や人間関係で追い込まれても何とかなりそうな気がしてきます。きませんか。なんかだんだん努力するだけ馬鹿らしくなってくるではありませんか。ようし、もう明日からは自由に生きるぞ。税金なんか払うもんか!

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