洛水之神(洛水の神)(「洛陽伽藍記」)
岡本全勝さんに取り上げていただきました。ありがとうございます。ただ、いつも申し上げていますが、肝冷斎は一人に見えることもあるのですが、複数の集合体であり、元気な肝冷斎もいれば、仕事始めの明日がイヤで元気のない肝冷斎もいるんです。今日はもう元気の無い肝冷斎が担当になっています。

にんじんジュースでも飲めば元気になれるかも。真っ赤な、血のように赤い・・・。
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北魏の孝昌年間(525~527)のことですが、彭城(現代の江蘇・徐州)に洛子淵という武人がいた。自ら洛陽の生まれだと言っていた。
ある時、同僚の樊元宝が休暇を得て洛陽に出かけることになり、子淵から実家あての封書を預かった。
元宝は教えてもらったとおり、洛陽・霊台の南の洛水の近くまでやってきたが、
無人家可問、倚欲去。
人家の問うべき無く、倚りて去らんと欲す。
訪ねてみるような家も無いので、もう戻ろうとしていた。
と、そのとき、
忽見一老翁来問、従何而来、彷徨於此。
忽ち一老翁の来たりて「何によりて来たりて、ここに彷徨せるや」と問うを見る。
突然、一人の老翁が現れて、「おまえさん、どういうご用件でお見えになって、こんなところをうろついておられるのか?」と問うてきた。
元宝は子淵の名前を挙げて、友人の実家を探していると告げた。
「ほほう」
老翁は言った、
是吾児也。
これ、吾が児なり。
「そいつはわしの息子じゃ」
老翁は手紙を受け取ると、元宝を家に案内した。
遂見館閣崇寛、屋宇華麗。
遂に、館閣の崇寛にして、屋宇の華麗なるを見る。
やがて、大きく広い屋敷があり、建物の華麗に美しいのが見えた。
(はて、さっきまでこんな建物、目に入らなかったのに・・・)
まあいいや。
老翁は元宝を客室に通した。
坐、命婢取酒。須臾、見婢抱一死小児而過。初甚怪之。
坐して、婢に酒を取るを命ず。須臾、婢の一死小児を抱きて過ぎるを見る。初め、甚だこれを怪しめり。
対座したところで、老翁は侍女に「酒を取ってこい」と命じた。
(持ってこい、ではなくて「取ってこい」か・・・)
すぐに、この侍女が、死んだ子どもを一人抱きかかえて建物の外から帰ってくるのが目に入った。
(なんであんなものを?)
と、見た時は実に怪しいと思った。
だが、
俄而酒至、色甚紅、香美異常。兼設珍羞、海陸具備。
俄かにして酒至り、色甚だ紅にして、香りの美なること常に異なれり。兼ねて珍羞を設け、海陸具備す。
すぐに酒が来た。色はものすごく赤い。味と香りのすばらしいのは、ちょっと普通ではないほどだ。さらに、珍しい食べ物が出された。水産物も陸産物もそなわっている。
飲み食いしているうちに、最初の違和感は忘れてしまった。
飲訖辞還、老翁送出、云、後会難期。
飲み訖わりて辞還するに、老翁送りて出でて、云う、「後会は期し難し」と。
飲食を終えて帰らせてもらうことにした。老翁は門先まで送ってくれて、
「二度と会うことはできませんでしょうからのう」
とえらく神妙であった。
元宝が門から出たのを見届けて、老翁は一礼して去って行った。
「あれ?」
不復見其門巷。但見高崖対水、淥波東傾。
ふたたびはその門巷を見ず。ただ高崖の水に対し、淥波の東傾せるを見るのみ。
「淥」(ろく)は「みどり」ではなく「清らか」「濾過する」の意。
その家の門や、そこに至る路地はもう見えなかった。代わりに、洛水の川に面した岸壁があって、きれいな波が東に向かって流れて行くのを見るばかりである。
崖の半ばほどに小さな祠があった。神名が掲げられていて、「洛水神」と読めた。
すぐ下流で人が集まって騒いでいるので、覗きに行ってみると、
見一童子新溺死、鼻中出血。方知所飲酒、是其血也。
一童子の新たに溺死し、鼻中より血を出だすを見る。まさに飲むところの酒の、その血なるを知れり。
子どもが一人、おぼれ死んだといって騒いでいた。その死体は呼吸を求めたのであろうか、鼻から血を流していた。
「そうか・・・」
先ほど飲んだ酒が、その血であることが了解された。
元宝は気になったので、休暇の期日までまだ間の在るうちに洛陽を出て、
及還彭城、子淵已失矣。
彭城に還るに及びて、子淵すでに失せり。
彭城の町に戻ることにしたが、帰ってみると、子淵はもう行方知れずになっていた。
それにしても、
同戌三年、不知是洛水之神也。
同戌すること三年、洛水の神たることを知らず。
三年間、守備隊で同僚として勤めていたが、洛水の神さまであるとは気づかなかった。
普通は気づきませんよね。
元宝はその後、酒を飲むたびに洛陽で飲んだ赤い酒の鮮烈な味と香りが思い出されてならなかった、ということである。
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北魏・楊衒之「洛陽伽藍記」巻第三「城南」より。人間社会と神さまや妖怪との距離がまだまだ近かった時代の、魔訶不思議なお話でございました。
ところで、同じ話が、五百年後の北宋・楽史の編んだ地理書「太平寰宇記」巻三に採り上げられていますが、それによれば、
―――後魏の洛子淵なる者は洛陽の人で、彭城の守備隊に所属していた。同じ守備隊の樊元宝が洛陽に帰るというので、書を託し、実家は霊台の南に在ると言った・・・とここまでは同じ。
元宝至、忽見一老翁云是吾児書、引入、屋宇顕敞、飲食非常。久之、送元宝出、唯見高崖対水。方知是洛水之神。
元宝至るに、忽ち一老翁の「これ吾が児の書なり」と云うを見、引入さるに、屋宇顕敞(けんしょう)にして飲食非常なり。これを久しくして、元宝を送りて出だすに、ただ高崖対水せるを見るのみ。まさに知る、これ洛水の神なるを。
元宝がそこまで行ってみると、突然一人の老翁が現れて、「これはわしの息子の手紙じゃ」と言い、引き入れられたのは、豪勢で広大な家屋敷で、飲んだもの食べたものは普通ではなかった。相当の時間が経ってから、(老翁は)元宝を送って外に出したが、(振り向くと)ただ高い岸壁が水に向かっているのを見るばかりであった。
そこで知った―――これは洛水の神であったのだ、と。
と、血の酒を飲んだ話が省略されています。これなら赤いお酒出てきても気になりません。
このあとに、彭城に帰ったら子淵がいなかった、ことではなく、
因立祠、訖今人祀、以祈水旱。
因りて祠を立て、今にいたるまで人祀り、以て水旱を祈れり。
そこで祠を立てた。現代(十世紀の宋の時代)に至るまで、ひとびとはこれを祀り、水害や干害が起こらないことを祈っているのである。
と神社の縁起物語となっています。つまり、説話としては「赤い酒」は必要事項ではないのです。が、楊衒之的には必要だったのでしょう。彼も仕事始めなどには元気がなかったが、こういうの飲むと元気になったのかも。ひっひっひっひ・・・。
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