古今異乎(古今異なれるか)(「草木子」)
正月も二日目ですから、漢文得意の主君殺し・弱者虐殺などイヤな気持ちになるような話をしてにやにやするか、ひっひっひ、ひいっひっひっひ・・・と思ったのですが、まあ少し平和にやっていこうじゃないか、と思いまして、今日も穏やかにやってみます。

終わりなき世のめでたさよ。
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十四世紀の後半ごろかと思いますが、あるひとが訊いてきた。
日生月落、古今異乎。
日生まれ、月落つ。古今異なれるか。
太陽が昇り(沈み)、月が(昇り)沈む。むかしと今で違うだろうか。
わたしは答えた、
同也。
同じきなり。
むかしも今も変わりませんね。
さらに訊いて来ました。
雲白山青。古今異乎。曰同也。
雲白く山青し。古今異なれるか。曰く、同じきなり。
雲は白い。山は緑だ。むかしと今で違うだろうか。答え「変わりませんね」。
夏葛冬裘、古今異乎。曰同也。
夏は葛(かつ)、冬は裘(きゅう)。古今異なれるか。曰く、同じきなり。
夏は葛を編んだ涼しい服、冬は毛皮の暖かい服を着る。むかしと今で違うだろうか。答え「変わりませんね」。
ということは、
天同也、地同也、人同也。
天同じなり、地同じきなり、人同じきなり。
天も変わらない、地も変わらない、人間も変わっていない。
ただし、
人寓形於天壌之間、特須臾耳。宜流浪大化之中、以順其同焉可也。
人は形を天壌の間に寓し、特に須臾なるのみ。(A)よろしく大化の中に流浪して、その同じきに順うを以て焉(ここ)に可なるべし。
人間は天と地の間に、(天地に比べれば)特段に短い時間だけ存在しているものなのだ。(A)大いなる変化の中で流れさまよっていくものなのだから、変わらないことに従っていればそれでよいであろう。
ということです。毎年同じ、それがいいんですよね。
・・・というのは、「焉」を「ここ(に)」という指示代名詞としで読んでみたものです。文章の流れとしてはこれでいいような気がするのですが、「焉」を「いずく(んぞ)」と疑問詞として読んでみることも可能なことに気づきました。
(B)よろしく大化の中に流浪すべく、その同じきに順うを以て焉(いずく)んぞ可ならん。
(B)大いなる変化の中で流れさまよっていくべきなのであって、変わらないことに従っているばかりで、どうしていいものだろうか。
現代人として教育を受けてきた者としては、(B)の方が腑に落ちる気もしますね。さらに今やリキッド消費の時代だからなあ。うんうん。
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元・葉子奇「草木子」巻之四下より。肝冷斎に「リキッド消費」の意味がわかって言っているわけではありませんが、太陽や月は知りませんが、衣服の材質は綿織物や絹、新聞紙、人絹などどんどん変化し、一般参賀で裸になる人もいるし、現代ではリキッドだ。
というわけで、(A)(B)、お好きな方を選んで読んでおいてください。東洋のむかしの人たちなんて現代の新自由主義の時代には確実に落伍しているレベルの人たちですから、どうせ役に立つはずがないからマジメにやらずに、にやにや読むしかないんですわー。もう50年ぐらいの腐れ縁ですわー。
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