令和7年12月31日 ・・・ 松阪城に行ってみました。蒲生氏郷築城、江戸時代は紀州藩の支城であった。

城内にある松阪市郷土資料館。元は飯田郡新聞閲覧所で、明治45年、皇太子巡幸記念に造られたそうです。かっこいい本館と右手に土蔵があり図書を収納していたとのこと。

松阪城は桃山期すなわち中世末期の平山城なので、実戦前提とした石垣が素晴らしい城です。国指定史跡にもなったので、一見の価値あり。中世城郭系の方には。これは本丸から搦手門側を見下ろす。

松阪城二の丸跡にある「城のある町」碑。梶井基次郎が城跡から町を見下ろしてなんやらかんやら書いています。少年時代「読まなければ」と思いましたが、ずっと優先順位低かったみたいで、とうとう六十年近く読んでないな。ほんとに読まないともう時間ないぞ。

江戸期の松阪城は紀州藩支城として城代が赴任、城番の武士はすべて四十石どりで、この武家屋敷町に長屋を作って幕末まで代々住んでおり、明治以降も社団を作って相互扶助して、今も子孫の方々が住んでいます。さすがに壊れてきていると思うのですが、ガイドものにはそう書いてあるんです。

武家屋敷地にある松阪工業高校の「赤壁校舎」。三国志とは関係ありません。戦前からの三重工業学校校舎だそうです。

三井さんや小野さんなど松阪商人は有名ですが(商人町は別のところにあります)、武家で一番出世したとされる原田二郎(大蔵省、国立銀行から鴻池)の生家。
令和8年1月1日 ・・・伊勢神宮に初詣

内宮の「どんど火」を撮ったのですが、例年より小規模に抑えられています。防火のためとのウワサでした。
令和8年1月2日 ・・・近世・宇治山田の港であった神社(かみやしろ)港を調査。中世にはすぐ隣の大湊港が有名ですが、幕末期にはここにも伊勢湾航路の港があり、清水次郎長が黒駒の襲撃など伊勢の反社勢力への「御礼参り」に四百八十人を率いてきたとき、ここに投宿し、周辺の顔役たちが周旋して和議が成ったのである。
式内・御食神社があります。

神社港。勢田川河口方面を望む。河口付近は大湊です。

これは次郎長がお礼に贈ってきた鹿の置物だそうです。

御食神社です。
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