其生可楽(その生は楽しむべけん)(「荘子」)
謹賀新年。
年明け早々なので、めでたいお話をいたしましょう。ただし「中ぐらい」だと思いますが・・・。

火の兄の馬がやってきた。
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楚の賢者(左氏伝に出て来る実在人物です)・市南宜僚(しなんぎりょう)が、魯公に面会したところ、魯公が君主としてのさまざまなことに疲れ、鬱々しておられたので、宜僚はそんな地位は捨ててしまって、「無人之野」に出かけましょう、とお勧めした。
「それはどういうところであろうか」
答えて曰く、
南越有邑焉。名為建徳之国。其民愚而朴、少私而寡欲。知作而不知蔵、与而不求其報。
南越に邑有り。名づけて建徳の国と為す。その民は愚にして朴、少私にして寡欲なり。作るを知れども蔵するを知らず、与えてその報を求めず。
例えば、越の南の方に国があります。「徳を建てた国」といいます。その国の民は愚かで、素朴。私有財産をあまり持たず、欲望もあまり無い。黙って生産はするのですが、富を貯える、ということを知りませんし、得た者は他者に分配するが交換は求めません。
多くのみなさんは、「資本主義社会ではないのでは?」と驚かれるかも知れません。「別に資本主義でなくてもいいではありませんか・・・」と言おうものなら、軽蔑されますので、「いやいや、より進んだ資本主義社会なのですよ」とウソはったりでも言っておこう、と。
不知義之所適、不知礼之所将、猖狂妄行、乃踏乎大方。其生可楽、其死可葬。
義の適(ゆ)くところを知らず、礼の将(すす)むところを知らず、猖狂にして妄行するも、すなわち大方を踏む。その生は楽しむべく、その死するや葬らるべし。
正義とか道義とかがどういうものかなど知りませんし、儀礼とか規範とかがどうなっていくのかなど考えもしません。狂ったように騒いで好き放題に行動しますが、おおもとのところを間違うことはない。ああ、ならば、その社会では、生きることは楽しいでしょうし、死んだ者は相応に葬られることでしょう。
「むむ? 正義も規範も無い? 本当に資本主義社会なら、「生きることは楽しい」なんてことありううるのか?」
わははは。
吾願君去国捐俗、与道相輔而行。
吾願わくは、君の国を去り俗を捐(す)て、道と相輔して行かんことを。
わたしは、お殿さまが、魯の国を去り、俗世を捨てて、大いなる道に助けられながら、その国に赴かれればよい、と思います。
公は言った、
彼其道遠而険、又有江山、我無舟車、奈何。
彼のその道は遠くして険しく、また江山有り、我に舟車無きを奈何(いかん)せん。
「その国まで行く道はあまりに遠く険しい。途中には大きな川や山があるであろう。わたしには自由になる舟も車も無いのだ。どうすることができようか」
市南子はいろいろ提案してお勧めします。最後にもう一度、
吾願去君之累、除君之憂、而独与道游於大莫之国。
吾願わくは、君の累を去り、君の憂いを除き、而して独り道とともに「大莫の国」に游ばんことを。
お殿さまがいろんなしがらみを捨て、心の悩みを除かれ、大いなる道とともに、「何もかもが無い国」に出かけられますことを、心から願っておりますぞ。
ここまで言われたら行くのでは?
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「荘子」山木篇より。なんと目出度い国ではありませんか。いろいろお勧めするところで話が終わってしまうので、魯公がどうされたかはわからないのですが、どうせ行ってないと思います。
みなさんはどうでしょうか、正月早々運勢占いだ。
→行く。・・・大変目出度い。大吉
→話を聴いて「へー、こんなところあるんだ」と思ったが、すぐ行く気にはならない。・・・中ぐらいには目出度いのでは。中吉
→「なんだ、これ。わたしのキャリアを高める話ではないぞ!」と理解いただけない。・・・まあ、そのうち思い直すことでしょう。末吉?
信頼を下げても、政策面ではなくモラルの問題なら後世の人も苦笑して許してくれるのでは?(本気で言っているわけではありませんよ)
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