12月21日 今日は暖かかった。今年の冬はもう終わり

自知不如(自ら如かざるを知る)(「史記」)

もう冬も終わったというのに、また会社に行かなければならないのか。

行かなければいいんにゃん。全勝さんもさぼってるにゃん。

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戦国の魏(梁)の国では、武侯(在位前395~370)のころ、呉起を用いて国勢を大きく伸ばした。武侯の死後、改革の一環として「相」を置くことにしたが、その「相」には、呉起ではなく田文が任じられた。

呉起不悦。謂田文曰、請与子論功、可乎。

田文曰、可。

起曰、将三軍、使士卒楽死、敵国不敢謀、子孰与起。

田文曰、不如子。

「ふむ。それでは―――

理百官、親万人、実府庫、子孰与起。

不如子。

守西河、秦人不敢東向、韓趙賓従、子孰与起。

不如子。

此三者子皆出吾下。而位加吾上、何也。

田文曰、主少国疑、大臣未附、百姓不信、方是時、属之於子乎、属之於我乎。

呉起は少し考えて、言った、

属之於子矣。

此乃吾所以居子上也。

呉起方乃自知不如。

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「史記」巻六十五「孫子・呉起列伝」より。司馬遷先生、相変わらずその場を見て来たかのように記述しますね。さて、呉起はこのときはよかったんですが、このあと田文が死んで宰相が交代しますと、いよいよ弾圧がはじまります。できるやつが役割を果たしてしまうと弾圧されるしかないですよね。戒めねばなりませんぞ。

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