自知不如(自ら如かざるを知る)(「史記」)
もう冬も終わったというのに、また会社に行かなければならないのか。

行かなければいいんにゃん。全勝さんもさぼってるにゃん。
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戦国の魏(梁)の国では、武侯(在位前395~370)のころ、呉起を用いて国勢を大きく伸ばした。武侯の死後、改革の一環として「相」を置くことにしたが、その「相」には、呉起ではなく田文が任じられた。
呉起不悦。謂田文曰、請与子論功、可乎。
呉起悦ばず。田文に謂いて曰く、「請う子と功を論ぜんことを。可ならんか」と。
呉起はうれしくなかった。田文に議論を吹っ掛けて、言った、「あなたとわたしで功績比べをしようではありませんか。いいですかな」と。
田文曰、可。
田文曰く、可なり。
田文は言った「おーけー」と。
起曰、将三軍、使士卒楽死、敵国不敢謀、子孰与起。
起曰く、「三軍を将いて、士卒をして死を楽しましめ、敵国をして敢えて謀ごとせざらしむは、子と起と孰れぞや」。
呉起は言った、「左右中央の全軍を率いて、士卒には死ぬことをさえ楽しませ(士気が高いこと)、敵国にはあえて策謀をさせない。このような軍略能力は、あなたとわたし、どちらが優れておりますかな?」
田文曰、不如子。
田文曰く、子に如かず。
田文は言った、「それは、おまえさんには敵わん」
「ふむ。それでは―――
理百官、親万人、実府庫、子孰与起。
百官を理(おさ)め、万人に親しみ、府庫を実たすは子と起と孰れぞや。
官僚たちに指示し、国民たちに親しみ、物資を倉庫いっぱいに貯えるような行政能力において、あなたとわたしはどちらが優れていましょうかな」
不如子。
子に如かず。
「そりゃおまえさんには敵わん」
守西河、秦人不敢東向、韓趙賓従、子孰与起。
西河を守り、秦ひと敢えて東向せず、韓・趙賓従するには、子と起と孰れぞや」
秦との国境線になる西川地方を守備して、秦が東に向かって攻勢にでるスキを与えず、さらに韓と趙の二国は主体的に動かず、我が国の様子を見ている。このような外交能力については、あなたとわたしはどちらが優れていましょうか」
不如子。
子に如かず。
「おまえさんには敵わんよ」
此三者子皆出吾下。而位加吾上、何也。
この三者、子みな吾が下に出づ。しかるに位の吾が上に加わるは、何ぞや。
「この三つの能力は、あなたはすべてわたしより下位である。それなのに、あなたの方がわたしより地位が高くなるというのは、何故ですかな」
田文曰、主少国疑、大臣未附、百姓不信、方是時、属之於子乎、属之於我乎。
田文曰く、主少にして国疑われ、大臣いまだ附さず、百姓信ぜず、まさにこの時にあたりて、これを子に属(しょく)せんか、これを我に属せしめんか。
田文は言った、「君主は若く対外的な信用はない。重臣たちはまだ全員が忠誠を誓っているわけではない。国民は信頼していない。こんな状況に当たって、おまえさんのような優秀なやつに国政の舵取りを頼むか。それともわしのようなちょっと落ちたやつに頼むか。どう思う?」
呉起は少し考えて、言った、
属之於子矣。
これを子に属さん。
「それは・・・おまえさんに頼むな」
此乃吾所以居子上也。
これすなわち吾の子の上に居る所以なり。
「それじゃ。それこそ、わしがおまえさんより地位が高くなった理由じゃろう」
呉起方乃自知不如。
呉起まさに自ら如かざるを知れり。
「ふむ。なるほどなあ・・・」
呉起は、自分が田文に敵わないのを認識した。
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「史記」巻六十五「孫子・呉起列伝」より。司馬遷先生、相変わらずその場を見て来たかのように記述しますね。さて、呉起はこのときはよかったんですが、このあと田文が死んで宰相が交代しますと、いよいよ弾圧がはじまります。できるやつが役割を果たしてしまうと弾圧されるしかないですよね。戒めねばなりませんぞ。
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