不揣其本(その本を揣(おさ)めず)(「唐才子伝」)
もう帰ってきましたが、東京も案外暖かいですね。これなら地道に東京にいてもよかったかも。

しかしながら地道に努力する気にはなれなんでぶー
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唐の終りごろに鄭良士、字・君夢という人がいました。若いころ、なかなか詩名があった。もともと福建の人であるという。
咸通中累挙進士不第。
咸通中、累(しばしば)進士に挙げらるるも第せず。
懿宗皇帝の咸通年間(860~873)、何度も進士の試験を受けたが、合格しなかった。
やがて世間でもあまり彼の名を聞かなくなったのですが、
昭宗時、自表献詩五百余篇。
昭宗の時、自ら詩五百余篇を表献す。
昭宗皇帝(在位888~904)の時、五百余篇の詩をまとめて、自ら(誰かの推薦ではなく)皇帝に献上した。
勅授補闕而終。
勅して補闕を授けられて終わる。
帝の御指名で、間違った行為を正す補闕官に任命されたが、(政治的に活躍することなく)亡くなった。
以布衣一旦俯拾青紫、易若反掌、浮俗莫不駭羨、難其比也。
布衣を以て一旦、青紫を俯拾し、易若(たやす)く反掌して、浮俗の駭羨せざる莫く、それ比(なら)び難きなり。
漢の制度で、印を繋ぐ紐(「綬」)の色が、公侯は紫、大臣である九侯は青だったことから、「青紫」は高位高官のことを言います。「布衣」は無位無官。
無位無官の状態から、ある日とつぜん、高位高官を拾い取って、いとも簡単にてのひらをひっくり返したようになり、浮薄な世俗のひとびとから見ると驚き、羨まれざるを得ず、彼らと親しくできなかったのである。
旧言詩或窮人、或達人。達者、良士是矣。亦命之所為、詩何能与。過詩、則不揣其本也。
旧(もと)より言う、「詩は或いは人を窮し、或いは人を達す」と。達せる者は良士これならん。また命の為すところ、詩何をか能く与えんや。詩に過ぎるも、すなわちその本を揣(おさ)めざるなり。
「揣」(し、たん)はもともと「手で高さを揃える」意味ですが、「揣摩する」(推しはかろうとする。手で触って高さを計ったり、撫でたりしてどういうものか調べる、という気持ちです)という熟語があるように普通は「測る」の意味で使います。ただし、「測る」より「高さを揃える」の意味から「治める」という訓もあるので、ここではそちらを使います。
古くから、「詩というものは、時には人を貧窮にするし、時には出世させる」と言われるが、詩に出世させてもらったというのは、鄭良士がその典型であろう。だが、一方で、その人に天が与えた使命について、詩ごときが何を加えることができるだろうか。詩だけがすぐれていたとしても、その本来の使命をよくするわけではないのである。
と言われてしまいました。
また、「白巌集」という詩集十巻があったはずだが、今は伝わらないので、どんな詩を作っていたのかもよくわからなくなってしまった。
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元・辛文房「唐才子伝」巻十より。出世したけど活躍する前に死んでしまったのだそうです。だとしてもみなさん地道にやらねばいかんよ、ということだと思います。不具合ならしようがないですが。
ネコの方のお姿。

登場される。

ネコ用ハンモックをお気に入りになる。


ハンモックにお乗りになりご満足のようである。
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