欣然思小酌(欣然として小酌を思う)(広瀬旭窗「発多度津」)
金曜夜の予定稿なのでほんとは何をしているのかわからないのですが、その日の肝冷庵が幸せだといいなあ、と思います。讃岐にいるわけではありません。直島行ってみたいなあ。

もともと桃太郎伝説は岡山には存在せず、先に鉄道路線に「吉備だんご」という名物が出来て、そのあと黍のの団子を活用する桃太郎は岡山県人だ、ということにしたそうなんです。たかだか100年ぐらいだがここまで伝承が拡大するとは、日本人が如何に(カネのために)歴史を重んじているかの証左といえよう。(←皮肉で言っているんですよ)
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江戸時代のことですが、
何処是黄薇、青山一抹微。
何れの処かこれ黄薇なる、青山一抹微かなり。
「黄薇」とは何処かわかりますか。「こうび」と読んではいけないんです。江戸時代のかっこいい漢詩人たちが「黄薇」(黄色いバラ)と呼んだ土地は
きび(吉備)
なんです。備前・備中あたりが見えるはずなのであろう。
どこかに吉備の地は見えるかね? あの絵具一擦りぐらいの青い山が微かに見えておりますでしょう。あれです。
ここは香川県多度津です。
好風吹不断、軽舸去如飛。
好風吹きて断たず、軽舸去ること飛ぶが如し。
いい風が吹いてきて途切れることがなく、わしの乗った快速船は飛ぶように行く。
このあとの詩を見ると、兵庫津に向かっているようです。
洲角猶過雨、船頭已落暉。
洲角なお過雨のごときも、船頭はすでに落暉(らくき)なり。
島影の向こうはまだ通り雨が降っているようだが、船の舳先の方はもう夕映えがしている。
広い海原である。
欣然思小酌、漁子得魚帰。
欣然として小酌を思い、漁子、魚を得て帰る。
しあわせな気分でちょっと一杯やりたいと思っていると、漁師のおっさんが魚を釣って港に帰っていく。(あの魚を買い取ろう。)
「欣然」としている主体を「漁子」と取ることもできるのですが、あまりに他人事過ぎるので、自分(作者)が喜んでいる、と解しておきます。
若い広瀬旭窗が豊後・日田から上方に、すでに赫赫たる詩名をひっさげて上っていくときの、わくわくとした詩ですね。季節は初夏であろうか。
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本朝・広瀬旭窗「発多度津」(多度津を発す)(「東瀛詩選」巻二十三所収)。わたしもこんな幸せな感じでこの日を過ごしているといいなあ。ムリかなあ。
一応毎日確認しないと気が済まないのですが、まだ不具合のようです。
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