天吏則可(天吏はすなわち可なり)(「孟子」)
さすがだ。こんな国会答弁が出来る人がいれば大人気であったろうなあ。

国会だけでなく国際関係でもトラのごとくヒトラーのごとくムソリーニのごとくマウント取れる人なら最高の指導者だ。国は安泰だ。すばらしい。本心か。
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(前回のあらすじ)
あるひとから「斉に勧めて燕を伐たせたのだそうですな」と訊かれた孟子、
未也。
いまだしなり。
「そんなことはしておりませんぞ」
と答えたのであった。
「ええー!
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だってあなたは沈同に訊かれたときに・・・」
孟子は答えて言った、
沈同問、燕可伐与。吾応之曰、可。
沈同、燕伐つべきか、と問う。吾これに応じて曰く、可なり、と。
「確かに沈同が「燕が征伐すべきでしょうか」と質問してきたので、わしはそれに、「よろしいでしょう」と答えました。
彼然而伐之也。彼如曰孰可以伐之、則将応之曰、為天吏則可以伐之。
彼、然り而してこれを伐ちしならん。彼もし「だれか以てこれを伐つべし」と曰わば、即ちこれに応じて曰うに、「天吏たらば以てこれを伐つべし」と。
それで、(沈同ら斉のエスタブリッシュメントたちは)燕の国を征伐したのでしょうね。だが、沈同がもしわたしに「誰が征伐してよろしいのでしょうか」と訊いてきていたらなら、わたしはそれに答えて「天の道を遂行するような天の官吏であれば、征伐してもよろしい」と言ったはずです。
今有殺人者、或問之曰、人可殺与。則将応之、曰、為士師則可以殺之。
今、殺人せし者有り、或ひとこれを問いて曰く、「人、殺すべきか」と。すなわちこれに、「士師たらばすなわち以てこれを殺すべし」と応じんとす。
今、仮に殺人してしまったひとがいたとします。誰かが「(殺人罪だとはいえ)人を殺し(死刑にし)てもよろしいのでしょうか」と問うたとします。それなら、これに対して、「裁判官なら殺人を犯した者を殺してよろしいでしょう(普通の人はダメです)」と答えることになるでしょう。
今以燕伐燕。何為勧之哉。
今、燕を以て燕を伐てり。何すれぞこれを勧めんや。
今回(斉が燕を征伐したのは)、一つの燕(乱れた国)がもう一つの燕(乱れた国)を討伐しただけです。どうしてそんなことをしろ、などと勧めることがありましょうか」
これでおしまい。
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「孟子」公孫丑篇より。ぎゃふん、と言わされましたなあ。「孟子」の議論はマウント取りが甚だしすぎて辟易しますが、実際にはこんなにうまく議論してなくて、孟子が隠棲後に弟子たちと作った模擬問答集だからなんです。実際にはこんなに見事にマウント取れてなくて、勝ったり負けたりおどおどしたりどぎまぎしたりしていると思います。
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