門閉如故(門閉ざすこと故の如し)(「括異志」)
そろそろ行こうかのう。

行く前に牛乳飲んで骨鍛えてから行くでもー。
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宋の時代のことですが、河北・冀州の張存という人は、
家富于財、策進士第、累歴台省館閣清要之職、致政、帰郷閭。
家財に富み、進士第に策せられ、台・省・館・閣の清要の職を累歴し、政を致して郷閭に帰る。
実家は富裕な財産家であり、科挙に受かって進士に名を連ね、台や省や館や閣といわれる中央の省庁でエリート中のエリートとして経歴を重ね、政務を終えて郷里に帰ってきた。
最後は尚書省の幹部になっていたので、張尚書と呼ばれる。
一夕、圉人見、一犢盗食馬粟、遂而捶之、但見白光奔宅門、遂失之。
一夕、圉人(ぎょじん)、一犢(とく)の馬粟を盗食するを見て、遂いてこれを捶(むちう)つに、ただ白光の宅門に奔るを見るのみにして、遂にこれを失う。
ある晩、厩番が、一頭の子牛が現れて、馬用の粟を盗み食いしているのを見つけた。そこで追いかけて、笞でぼかんと殴ったところ、子牛は白い光に変わって、屋敷の門から入っていった。それ以外には何も見えず、とうとう見失ってしまったのである。
門閉如故。
門閉ざすこと故の如し。
門は、もとどおり閉まったままであった。
ところで、その翌日から、
張病、肌骨痛者数日、間策杖詣馬厩、問圉人云、旬日前夜見何物。
張病み、肌骨痛きこと数日、間に策杖して馬厩に詣り、圉人に問うて云う、「旬日前夜、何物をか見る」と。
張は寝付いてしまった。皮膚、筋肉、骨の痛みを訴えて数日して、少しよくなったらしく杖をついて厩までやってくると、厩番に訊いた。
「おまえは十日ほど前の晩、何かをみたかね?」
厩番は、子牛のこと、ぶん殴ったら白い光になってしまったことを、正直に答えた。
張は、「そうか、子牛か」と頷いてためいきをつくと、
後或見、不可撃也。
後あるいは見るも、撃つべからざるなり。
「これからは、もし見かけても、その子牛をぶん殴ってはいかんぞ」
と言った。
厩番は何故そんなことを言うのか、大変不思議だったそうである。
歳余、閽者見一犢自宅門出、追視之、乃不見。
歳余、閽者、一犢の宅門より出づるを見て、追いてこれを視るに、すなわち見えず。
一年ほどしたとき、門番のオトコが、一頭の子牛が屋敷の門から出て行くのを見た。
(こんな子牛、うちにいたっけ)
と疑問に思って門の外まで出て左右を見てみたが、何も見つからなかった。
首をひねりながら門から入った瞬間、
俄聞宅中哭。乃尚書卒也。
俄かに宅中に哭するを聞く。すなわち尚書卒するなり。
突然、家の中から泣き声が聞こえた。そのとき、張尚書が亡くなったのである。
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宋・張師正「括異志」巻第九より。「これは朱允中の言なり」と注がついていて、朱允中というやつに責任転嫁しています。人間は牛になるはずありませんからね。
全勝さんはもう来年かな。冬眠中なのでしょう。
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