禍及三世(禍、三世に及ぶ)(「後漢書」)
この「三世」は仏教でいう「前世、現世、来世」の三世(さんぜ)ではなく、親、子、孫の三代のことです。

今日は煤払い。大政翼賛会なくてもSNSなどを通じて、上意下達に務めねばならんでぶー。もちろん下意も上達するでぶー。上の人が喜んでくれそうなやつは。
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後漢の延熹(えんき)七年(164)、
河内野王山上有龍死、長過数十丈。扶風有星隕為石、声聞三郡。
河内の野王山上に龍の死する有り、長さ数十丈を過ぐ。扶風に星の隕(お)ちて石と為る有り、声三郡に聞こゆ。
河北の野王山の山中で、龍が死んでいるのが見つかった。体長は70~80メートルもあったという。陝西で星が墜ちて石になったとの報告があった。その爆音は数百キロに及んで、三郡に聞こえた。
後漢の一丈≒2.3メートルを適用し、「数十」≒30~ぐらいかなあ、と考えて厳密に計算してみました。
さて、
夫龍形状不一、小大無常、故周易況之大人、帝王以為符瑞。
それ、龍は形状一ならず、小大常無し、故に「周易」にはこれを大人・帝王を況(い)うに以て符瑞と為す。
そもそも龍には一定の形も無く、大きさも変化するもの、このため「周易」では、立派な人や帝王について「龍」を使うときは、成功のしるしとしているのである。
或聞河内龍死、諱以為蛇。夫龍能変化、蛇亦有神、皆不当死。
或いは聞く、河内の龍の死するは、諱みて以て蛇と為す、と。それ、龍は能く変化し、蛇もまた神有りて、みな死するべからず。
河北で龍が死んだことは、不吉だと考えてヘビでした、と報告したというウワサも聞く。しかし、龍はよく姿を変えてしまえるし、ヘビにも神性がある。どちらも死ぬはずがないのである。
むかし、秦の衰えんとするや、崋山の神が出現して
今年祖龍死。
今年、祖龍死せん。
今年は、おやだまの龍が死ぬぞ。
と予言したのは、有名である(「春秋後伝」)。
始皇逃之、死於沙丘。
始皇これを逃れ、沙丘に死せり。
(自分のことだと思った)始皇帝は長安を離れて予言を避けようとしたが、山東の沙丘の地で死んだ。
あるいは王莽の天鳳二年(15)、
訛言黄山宮有死龍之異。
訛言して、黄山宮に死龍の異有りと。
安徽・黄山の神廟に、不思議にも死んだ龍が置かれていた、というデマが飛んだ。
その後、後漢は王莽を斃し、光武帝が即位したのであった。
以上のような情勢で、延熹十年、襄槐が、桓帝に上奏して言った―――。
虚言猶然、況於実邪。
虚言すらなお然り、況んや実なるをや。
伝説やらデマにすらみな乗せられてそんなこと(国を亡ぼす)になったのです。しかも今回は事実なのですぞ。
夫星辰麗天、猶万国之附王者也。下将畔上、故星亦畔天。
それ、星辰の天に麗(つ)くは、なお万国の王者に附するがごとくなり。下まさに上に畔(そむ)かんとす、故に星また天に畔くなり。
この「麗」は「り」と読んで、「付く」「引っ付く」の意。
えーと、星や星座が天に引っ付いているのは、地上の国々がみな帝王に引っ付いているのと同じです。地上で下の者が上位にある(例えば帝王)に叛こうとすると、星が天に叛いて隕石になって落ちてくるのは当然のことでしょう。
なかなか科学的ですね。
石者安類、墜者失勢。
石なるものは安類にして、墜なるもは勢を失うなり。
だいたい、石というのは安定した物質である。落ちてくる、というのは勢いを失ったということだ。
「春秋」の時代には、五つの星が宋に墜ちたという記述があり、その後宋は滅びた。秦の終りには隕石が扶風に墜ちて、その後秦も滅んだ。
今回の隕石、
不有大喪、必有叛逆。
大喪に有らざれば、必ず叛逆有らん。
陛下の御身に何かあるのでなければ、必ず反逆がありましょう。
臣聞殺無罪、誅賢者、禍及三世。
臣聞く、無罪を殺し賢者を誅する者は、禍、三世に及ぶ、と。
わたくしはこのように聞いております。
「権力によって罪なきものを殺し、賢者を誅殺した君主は、バチが自分だけでなく孫の時代にまで当たるのである」
と。
自陛下即位以来、頗行誅伐、漢興以来、未有拒諫誅賢、用刑大深如今者也。
陛下即位より以来、頗る誅伐を行い、漢興りしより以来、いまだ諫を拒み賢を誅(ころ)し、刑を用いること大いに深きこと今の如きは有らざるなり。
陛下(桓帝)がご即位されてからこちら、何度も誅殺を行っておられます。漢が国を建てて以来、諫言を拒み賢者を誅し刑罰を大いに深く用うること、現代ほどひどい時期はございません。
うひゃー、これはやられる!
と思ったのですが、
書奏不省。
書奏せられるも省みられず。
上奏書は報告されたが、皇帝は興味を持たれなかった。
ああよかった。
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「後漢書」巻三十下「襄楷等列伝」より。為政者を批判して、国論を分断して弱体化してしまったらいけませんので、批判しません。チャイナに、「文化的ないやがらせを止めろ!」と抗議の会見開いてくれませんが、さすがだ。消費税廃止など過去の経済政策提言を変えた理由など説明してくれませんが、すごい。
こちらは今晩中に500万番に行くかも。さすがだ。すごい。
観ネコ記 令和7年12月13日・・・・・・・・・
戸田ネコを観ネコ。
駐車場出口脇の〇にかけのシロネコの代わりにクロネコがいた。シロネコも夏からよくがんばったがさすがにダメだったか。
白ミケ改めでぶミケは元気だ。エサ250円分ぐらい食ってしりたたき。
目の見えなくなったバグミケだが、しりたたきは求める。鼻の先にクリッピーを一粒一粒置くと一生懸命探して食うことが判明した。
ハチのネコハウスが撤去されていた。
帰りにまたでぶミケ。300円ぐらい食わせる。そのあと人間座布団にされて、寝られる。途中で突然手を強くかんできて流血するが、かんだあともまた眠っていたので、身動きできず。「はじめニンゲンギャートルズ」に出てくるような肉の夢を見ていたのかもしれません。
橋のたもとの転がりミケやサビは見つからず。
駐車場を出たところで、サビネコを見かけたので警備の人に見つからないように離れたところに停車して、一匹分持ってサビのところに行くと、その後ろから〇んだはずのシロネコも出てくる。しかたないので一匹分を二つに分けて与える。どちらもたいへんな不満の色を見せるも食った。シロネコ生きていた上に目も足も元気になっていた。不可思議である。
逃げるように帰ってきました。
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