12月5日 秘密結社に改造されたのかも知れません

何従至於此(何に従りてかこれに至れる)(「淮南子」)

ほんとに何でこんなに眠いのか。悪の組織(ショッカーなど)に改造されたと考えれば辻褄は合うが、まさか・・・。

殴られたので眠くなったのかも知れません。

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光耀問於無有、曰、子果有乎、其果無有乎。

無有弗応也。

「むむむ」

光燿不得問、而就視其状貌。

冥然忽然、視之不見其形、聴之不聞其声、搏之不可得、望之不可極也。

突然「ぼかん」と殴ってはいけません。けんかになってしまいます。しかしスカっとなってよかった。

光燿曰、貴矣哉。孰能至于此乎。予能有無矣。未能無無矣。及其為無無、又何従至於此哉。

このことについて、老子はおっしゃっている、

無有入于無間。吾是以知無為之有益也。

と。

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漢・劉安等「淮南子」巻十二「道応訓」より。最後の「老子」の言葉は
「何言ってるんだ、このじじい」
「どうしようもない老害ね」
「若者の足を引っ張るとは」
と思うかも知れませんが、「老子」第四十三章の言葉です。全文を引くと、

天下之至柔、馳騁天下之至堅、無有入無間。吾是以知無為之有益。不言之教、無為之益、天下希及之。

「淮南子」には「于」と「也」が加わってますが、意味に影響はないと思います。うーん。ええコトバやなあ。不言、無為。何も言わず、何もしない。会議中は寝ることが正当化される。
もしかしたら、この人も不言の教え、無為の益を悟ったのかも。

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