賜白金千両(白金千両を賜る)(「唐才子伝」)
起きて帰ってきたら、寒いですね。毎年暖房問題を何とかしたいと思うのだが、あと一日あと一日とガマンしているうちに何とかなったんです。これまでは。

一寸法師がこそこそしてくすぐったい。しかし圧倒的に当方が道義においても実力においても勝っているから、しばらくガマンしてれば向こうから詫びを入れてくるのでは・・・。
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唐末の張蠙(ちょう・ひん)は河北・清河の人、若くして
白日地中出、黄河天上来。
白日は地中より出で、黄河は天上より来たる。
白い光でぎらぎらした太陽は、大地から直接昇ってくる。
黄色く濁った大河は、天上の彼方から流れて来る。
という北地の荒漠たる風土を詠んで名を知られたが、
以家貧、累下第、留滞長安。
家貧しきを以て、累(かさ)ねて下第し、長安に留滞せり。
実家が貧しく(受験勉強に集中できない、有力者と交際できないなどの理由で)何度か科挙試験に落第して、都・長安に長い間暮らしていた。
詩を作って嘆いて曰く、
月裏路従何処上、江辺身合幾時帰。
月裏の路はいずれの処より上り、江辺の身はまさに幾時にか帰るべき。
月光に照らされた路地をどこからたどれば出世できるのやら。
川のほとり、このわしは一体いつになったら(夢を遂げて)故郷に帰れるのだろうか。
十年九陌寒風夜、夢掃蘆花絮客衣。
十年九陌にありて寒風の夜、夢は蘆花を掃いて客衣を絮す。
もう十年も九つに区切られた都の町中に住んで、今年もまた寒い風の夜だ。
夢の中では(風によって)アシの白い花が散り敷かれ、わしの旅の衣に綿を重ねてくれたとみえたのだが・・・。(夢でした。)
暖房も無くて寒かったのでしょう。
乾寧二年(895)にようやく進士となり、いくつかの職を経て四川・犀浦の県令に赴任しているうちに唐朝が滅亡(907)、そのまま四川で独立して「前蜀」を建てた王建のもとで地方官となった。二代目の風流天子・王衍(在位918~925)が成都市内の大慈寺に立ち寄った時、
見壁間題。
壁間に題せるを見る。
壁に対聯が書かれているのを見た。
「どれどれ・・・」
牆頭細雨垂繊草、水面回風聚落花。
牆頭の細雨は繊草に垂れ、水面の回風は落花を聚む。
垣根に降った小ぬか雨は、しずくになって弱弱しい草に垂れている。
くるくるとめぐる風が、水面に落ちた花びらを集めている。
という成都のうら寂しい春の景を描いた聯である。
「むむ。やるではないか」
愛賞久之、問誰作、左右以蠙対。
愛賞すること久しくして、誰の作かを問うに、左右、蠙を以て対す。
王衍はたいへん気に入ってほめていたが、やがて「これを作ったやつは誰じゃ?」と問うた。近侍の者は、「張蠙というしがない地方官にございます」と答えた。
王衍は張蠙の文章力を認めて、詔勅の案を作る掌制誥に任じようとしたが、丞相の李光嗣が諫めて、
以其軽傲。
その軽傲なるを以てす。
彼が軽々しく、またプライドが高いことを申し上げた。
それで断念して
止賜白金千両而已。
白金千両を賜うのみに止まる。
黄金千両(1000万円ぐらい?)の一時金を下賜するにとどまった。
張蠙はとうとうその才能を現実社会に活かすことはできなかったのである。
いやいやわたしなどもうこれだけいただければ十分でございますが。
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元・辛文房「唐才子伝」巻十より。世の中カネが一番です。コメ買わないからお米券要りませんわー。
自分では新聞読まないんで、全勝さんのHPが治らないと情報から疎外されたままで困っています。まあ情報ぐらいなくてもいいか。
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